2011年12月23日金曜日

菅生沼

次も戻って行った方の話が書けなかったので、恥ずかしくて公開してなかったんだけど、年末に鳥見に行った時のことは書き置いていたので、次のと一緒に公開。

寒いので、もう日ものぼりきってから家を出る。菅生沼の天神山公園へ、橋の手前の駐車場に車を停めて行く。いや、数えるのもめんどくさくなるくらいのコハクチョウがいました、いや、ほんとに数えなかったんだけど、後で思い出すと200羽くらいはいただろうか。その倍以上オナガガモがいて、マガモとコガモが少し。遠くにアオサギ。

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関東平野に、白鳥が飛来するところは他にもあって、2006年のお正月には、23区内の善福寺公園に来て、NHKニュースにもとりあげられていて、人だかりしていた。その時は白鳥の数より人間の数の方が100倍くらい多かったが、ここでは人間より白鳥の方が100倍くらい多い。それはともかく、この鳥の野生の姿が観察できるのは、関東ではここぐらいだろう。

下の写真では、左手前と奥に、羽根が灰色で、くちばしの根元がピンクがかったのがいるが、これが、みにくいあひるの子、今年生まれた幼鳥というか若鳥だ。頭から首がうすよごれている鳥も多いが、これは沼の底の泥の中をあさっているせいで、十分に餌付けされているところだと、白鳥の首はきれいなものだ。こんな写真がコンデジの広角標準ズームレンズでとれちゃう。

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じっとしてると寒いし、犬の散歩もかねているので土手の上を歩き始める。雲間から差す光(Jacob's ladderとか大島弓子風にはレンブラント光線)がきれい。

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目に映った景色を焼き付けようとシャッターを切ったが、うまくいかない。この道はいばらぎヘルスロード103 菅生沼遊歩道というらしい。 歩いている間、ずっとチュウヒが遊弋しているのが見える。ホシハジロの小さな群れの上をしばらく旋回してが、あのくらいの水鳥を襲うこともあるのだろうか。 あし原からチョウゲンボウが風にあおわれるように飛び立つ。

橋のたもとから、工事用の仮道ができていて、遊歩道を延伸するための工事をしているみたい。橋のたもとに、このあたりで観察会などをもよおしているグループがニューズレターを入れている箱がある。中に一部しか残っていなかったのでとらなかったが、それによると、今年はオオハクチョウも来たり、フクロウがいたりしたみたいだ。橋のところから、北の方をながめると、雪化粧の山が遠くに見える。日光の男体山だろうか。 沼を向こう側にわたって歩く。時々、やはりチュウヒが現れては、見えなくなる。ツグミを見かける。シロハラの声がする。カワラヒワ、モズ、ジョウビタキも姿は見られなかったけど声が聞こえた。時間が悪かったせいか、カラの群れも見れなかったけど、シジュウカラ、コガラの声は聞こえたような。カシラダカの群れがいる。ふつーの冬鳥だが、見たのはほんとに久しぶりだ。

遊歩道は、途中で堤がくずれて陥没してるところが通行止めになっている。写真のずっと奥の方で土手が崩れているのだ。こんなところにも震災の爪痕が残っていた。

2011年11月23日水曜日

野山北公園

鳥を見に、というより、ほとんど犬の散歩のために野山北公園に行く。

このあたり、狭山湖周辺の丘陵は水源林であるために開発の手が入っていなくて、山野の鳥を見るにはいいところ。20年以上前から通っているが、この10年来、公園としての整備が進んで、東京都側では野山北公園、埼玉県側では、さいたま緑の森博物館というのができている。六道山公園というのは昔からあった。 野山北公園事務所からちょっと下ったところの駐車場、里の紅葉のベンチマークにしているイロハカエデの木がある。まだらに枯れたような感じで今年の紅葉はどうやら外れ。 丘陵の尾根道に上がる。

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最近のデジカメはたいしたもので、きれいな紅葉はとてもきれいに、きれいでない紅葉でもそれなりにとれてしまう。写真といっていいのかどうか疑問だけど。


カラたちのツピツピよりもコゲラの声の方がよく聞こえる。スズメは見かけない。ヒヨドリの声も聞こえるが、ガビチョウの声が聞こえないのもふしぎなくらい。とはいってもガビチョウの地鳴きってどんなのか知らないのだった。どっちにしても歩き始めたのが11時過ぎだから、鳥が一番不活発な時間なのでしょうがない。

尾根道を少し歩いて、里山民家の方に下る。ここは公園として整備される前は、不法投棄されたゴミで谷戸がうまっていたところ。ゴミを片付けて、耕耘したら、土中にうもれていた種が芽を出して、里の田んぼの生態がだいぶ回復して来ているみたい。里山民家は名主格の農家を移築したか新築したかで蔵つきの立派な建物。ボランティアの事務所になっているプレハブも併設されていて、いろいろ面白いことをやっている。

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ちょっとわかりにくいけど、いちばん左の茅葺屋根が里山民家



それはともかく、里山民家についたあたりで、ハシブトガラスの声がうるさい、なんかモビングをしているみたいだなと思ったら。オオタカが現れた。しばらくして、もう少し翼がとんがっていて、尾がもう少し長くて、飛翔の途中で時々羽ばたきをはさむ同じぐらいの大きさのワシタかも同じ空に現れる。ハヤブサじゃないか。そのうち同じ空にトビも出て来た。時間が悪くて、冬鳥は全然だったけど、ワシタカが3種も見れたので、まあよしとしよう。

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この空にオオタカだのハヤブサだのトビだのが舞い飛んでいた

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田んぼに水が張ってあった。二期作をやってるのかしらん。

もういちど尾根に上がって駐車場に戻る途中、キジの声は遠くで聞こえた。

印旛沼のあたりでも、このあたりでも、こういう丘陵地帯っていうのは、古くから人が住んで来た場所だったはずだ。印旛沼のあたりは低いところは湿りすぎていてなかなか耕作に向かず、このあたりの低いところはまた逆に水が得にくくて耕作にむかなかたけど、丘の谷間に水が湧き出る、谷戸と呼ばれるところがいちばん水田にしやすかったので、そういうところに古くから日本人が住んでいたのだと、何かで聞いたことがある。この辺ではどうだか知らないけど、印旛沼のあたりだと、谷戸でコメを作って、丘の上に畑を作って、かなり自給自足みたいな生活ができたんだと。ただ、時代がくだると、こういうところの田んぼは水温が低いせいで収量があがらず、放棄されたところも多かったのだと。それだけではないのだろうけど、高度成長期の後半にはここいらもゴミの山になっていたわけだ。

20年前くらいに、この辺にサイクリングに来た時。里のお寺で話をきいたことがある。その20年前の10年くらい前には鳥も姿がほとんど見えず、今日歩いたようなところもマムシが多くてとても立ち入ることができなかったけど、このごろ(というのが20年前)タカが戻ってきて、蛇が減って、だいぶ歩きやすくなってきたのだと。

まったくのウィルダネス(原生というか本来の意味での自然というか)というのはヒトが住みやすいところではないし、見捨てられてあれはてて生命の循環が保てないようなところにもヒトは住めない。適度にヒトの手が入って、維持されて、そこに、虫はもちろん、カエルやヘビも、スズメもタカもカラスも、タヌキやキツネも住んでいるっていうあたり、こういうところが人間にとっていちばん住みやすい場所だったはずだ。

前述のように、ここの埼玉県側は、さいたま緑の森博物館っていう。こういう場所での人間の営み自体が、今や博物館の陳列物になってしまっているわけだ。いやそれがいけないって思っているわけじゃない。こういう場所はもっとできなくちゃいけないし、こういう場所での暮らしをおもいだすことで、これから僕らがどう暮らしていくのか考えなくちゃいけない。

それにしても、都会暮らししたことのない僕でも(あるいは都会暮らししかしたことがないからかもしれないけど)、なんとも言えない郷愁を感じる。なんかジャニーズのアイドルグループがやっている番組のコーナーで、村暮らしをするようなのがあって、結構人気もあったようなのは、こういう郷愁に支えられているんだろうな。そういえば、あの村は福島原発の避難区域に入っていたんだ、と、鳥見の話のつもりがどうしてもそこに戻って行く。

次はなんとかまた、戻っていった方の話を書きたいと思います。

2011年11月14日月曜日

甚兵衛渡し

3.11の震災/原発事故思うことや、考えをまとめておきたいことは多々あるのだけれど、あまりあせっても書けなくなるので、ぼちぼちやっていくことにして、今日は全然違う話題。 久しぶりに北印旛沼に鳥を見に行ったので、その記録。とはいえ、フィールドスコープは持たず、図鑑も忘れるという体たらく。 15、6年前頃、今回の目的地よりはだいぶ南西の方になるが、佐倉の手前の四街道というところに住んでいたので、この辺りにはおりふし鳥を見に来ていた。北総丘陵地帯でも奥の方で、今住んでいるところからは遠いので、当時以来、本当にひさしぶりだ。 通って居た頃は、何もないところだったので、東関道のインターをおりて、にぎやかなところのコンビニでおにぎりとお茶を買って行く。 このあたりの道は、坂をのぼると視界がせまくなり、おりて行くと視界が開けて水田が広がる。干拓される前は水田の多くも沼か湿地だったんだろうが、いずれにしろ、こういう風景は、海岸の風景、山間いの風景とならんで、日本の原風景の一つだと、誰かが言っているかもしれないけど、あまり聞かないので自分で時々言っている。 北印旛沼に鳥を見に来る時は、いつもここにくる。義民惣五郎の悲話に出てくる、甚兵衛渡しのあたり。かつて渡し場があったあたりに見事な一群の松(水神の森とか甚兵衛の森というらしい)があって、小さな公園になっている。以前もそうだったが、今回もここに車をとめる。 昔はみかけなかった高架橋が、印旛沼方面の視界をさえぎっている。どうも鉄道らしい。 P20111113 1 公園の道をはさんで向かい側にもコンビニができていて、イオンモールまで何キロとかの看板もあって、だいぶ様変わりしている。 水辺というか甚兵衛大橋の方に向かう道も、細い道なのに交通量が多く、これも様変わり。水辺までは500 m強あって、歩きにくそうだと心配したが、車道の脇に、歩道というのではないが、歩けるところが続いていた。 DSCN0607 高架橋は、成田新高速鉄道というらしい。 水辺に出るまでに、スズメ、ハシブトガラス、ハシブトガラスにはご対面したり、声を聞いたりしていたが、水辺についたとたんにモズの高鳴きが聞こえてくる。電線の上だった。あたりを見渡すと、ダイサギ、コサギ、アオサギ、マガモ、カルガモなど。遠くにトンビが飛んでいる。カイツブリを見つけるより先にカンムリカイツブリが目にとびこんできた。マガモはかなり神経質で、近づくと逃げたり隠れたりするが、カンムリカイツブリの方はそういう様子もなかった。ホオジロが巣を守っているような様子でさえずっている。今年は異様に暖かかったというか、暑かったから、まだ巣をかけているんだろうか。 カワラヒワがキリコロいいながら空を飛んでいく。カワセミもじっくりはみれなかったけど、青い閃光として何度かみかけた。 土手の上を歩いていると、行く手にワシタカの姿が、チュウヒだった。しばらく見ていると、少なくとも2個体はいるみたい。 ヨシ原の中に、オオジュリンみたいなのが見えたような気がしたけど確認できなかった。ハクセキレイが飛んでいるのでもひさしぶりに見るので楽しい。 晴れていて、気温も湿度も高く、暖かいというより、ちゃんと秋の恰好をしているとちょっと暑いくらいだろうけど、刷毛でかいたような雲も出ていてすっかり秋の空。満足して車に戻る。 車を出して、甚兵衛大橋を渡り、成田線の方へ。小林のあたり、から木下へ向かう。途中、以前見たおぼえのない大きな集合住宅をいくつも見かける。 DSCN0618 木下の駅、昔の木造駅舎は建てかわっていたが。駅前のせんべい屋さんはそのままだった。 DSCN0619 30年前、僕が東京に出てきた頃には、まだ、野菜の行商をする女性を見かけることがあった。その後、花森安治の「千葉のおばさん」という文章(「一戔五厘の旗」所収)を読んで、その女性たちから、主に、このあたりから東京に出てくるのだと知った。というより、その文章はとうに読んでいたのだけど、頭の中でぜんぜん像を結んでいなかったのが、多少ともこのあたりの風土とのかかわりが出てきて、そんな文があったことを思い出して、読み直してみたのだと思う。 そっけなく置いてある、せんべい(醤油味の一種類だけ)を買い求めながらそんなことを思い出していた。 家に帰って、福島から飛んできた放射性物質もほんのちょっとだけ入っているお茶を入れて、せんべいを食べながら、この文章を書いている。で、つらつらまとまらないことを考えているのだけど、 もう、あのあたりから、東京へ野菜の行商に行く女性なんていないだろう。別に始まったのも関東大震災の直後だというし、昭和が終わる頃には、もうおわっていただろうからたかだか5,6十年の歴史だ。 野菜の行商自体は、たいへんな重労働だし、貧富の差を前提としているところもあって、なくなって良かったし、なくなるべきものだったんだろうとは思うのだけれど、その背景あったくらしのかたちはどんなものだったんだろうか、ってことが気になっている。 結局実現しなかった新幹線にかわって、成田空港と東京を結ぶきれいな鉄道ができた。便利になるのはいいことなんだけど、一言で言うと、便利になるのと一緒に、世界がどんどん平らになっていくような気がするんだね、通過するだけの場所になるような。 うまく言えない、とりあえず今夜はここまで。

2011年10月3日月曜日

「公害」について

情けないことに、9月は一回も更新できなかった。この前更新したのは8月の初めだから2ヵ月もほおっておいたことになる。この「公害」については、僕がほんの小学生くらいだった時からずっといろいろ考えていることで、それでもなかなかまとまらないんだけど、まとまるのはいつになるかわかんないんで、とりあず上げることにした。

一枚の写真

Aちゃん、”Tomoko in her bath" (W. Eugene Smith1971)、って写真を見たことがあるかい。胎児性水俣病の女の子とその子のお母さんが入浴しているところの写真。一時、中学校とかの社会の教科書には必ずといっていいほどのっていたから、ある世代の人の目には必ずふれていたといってもいいくらい。でも2000年頃に、写っていたご本人たちからの申し出により、著作権を管理していたアイリーン・スミス*って人が、新たな出版物に使われることを差し止めたので、なかなか見る事ができなくなってる。とても残念だ。すばらしい写真だからね。

絵画って、目に映らないものを、見せてくれることがあるだろう。写真は、そこにあるものをただ写しているだけだから、そんなことないって思うかもしれないけど、その写真なんかを見ればそれはちがうってことがわかる。たとえその場面を生で目にしても僕らみたいなぼんくらにはわからないようなことが、そこには写っているよ。もちろんまず何が見えるかは、人によってちがうだろう。病気の悲惨さとか、むごさをまずまず感じる人もいるだろうし、暴力っていうものを見る人もいるだろうし、もちろん愛情ということを見る人もいるだろう。僕の目にもそういうものは映るけど(ほんとに映ってるんだろうかって思うこともあるけど)、この写真をみて、いちばん感じるのは、人を人たらしめるものは何かってことだ。君が僕を人たらしめている、僕が君を人たらしめている。人っていうのはね、動物とちがって、人と人との関係によって成り立っている。母と子の関係、写真を写す人と写される人の関係、その写真を見るぼくらとの関係、その他もろもろ。ちょっと話を広げすぎかもしれないけど、人っていうのはそういう、関係の網の目が作る社会によって存在しているんだ。だからね、ぼくらは、フクシマのことも、というより、福島にいる人たちのことを考えなくちゃいけないし、ミナマタのことを考えなくちゃいけない。突然で、文脈から離れてて、何のことだか分からないかもしれないけど、一万年くらい前にその辺で貝を掘ってた人たちのことも考えなくちゃいけないのかもしれない。国家なんてことについても考えなくちゃいけないのかもしれない、時にはだけど。

棄民

なぜだか、今度のことがあってから論語のことばをいろいろ思い出すんだけど、いわゆる「公害」のことを考えてると、教えざる民を以て戦う、之を棄つと謂う(子路第十三の30)、なんてのが頭に浮かんでくる。「棄民」っていうのの元になった文章だね。前段は、おしえざるのたみをひきいてたたかう、って読みもあって、いずれにしても戦争のことだから、若干状況はちがうにせよ、国民にその戦う相手のこと(放射能汚染)のことをろくにおしえもせず、しかも戦わなくていいなんてことまでいうわけだから、棄てていることに違いない。思えば、明治以来この国はずっとそうだったわけで、民は、谷中村で棄てられ、土呂久で棄てられ、インパールで棄てられ、沖縄で棄てられ、満州や樺太で棄てられ、水俣で棄てられ、神通川や阿賀野川で棄てられ(ほかにもあと6つくらいはすぐに思いつく、きちんと考えればもっともっとたくさんあるだろう)、ずっと棄てられ続けてきて、今でも棄てられていて、原発事故のことでも、今後何十年か、百年か棄てられ続けるわけだ。

棄てるなんてけしからん、とそういうことを言いたいんじゃない。僕も棄てられる側にいるのと同時に、棄てる側にいるのかもしれないからだ。だいぶ前のことになるけど、エイズ事件が話題になっていた頃、菅直人が厚生大臣だった頃だったか、ある人と水俣の話をしていた。水俣の時も厚生省(いまの厚生労働省)は所謂御用学者を作って、隠蔽に回った、チッソが排出している有機水銀が原因だということを示す報告をにぎりつぶしだんだね。今も昔もかわらない、ひどいですね、ってある人に言ったら、その人に、でも水俣の時はしょうがなかったんじゃないか、企業を守ることで、日本の経済は成長して、それでみんなが豊かになり、幸福になったんだし、とか言われた。で、その時はそれに反発してもいたんだけど、心の中で、そうなのか、しょうがないのか、と納得する部分があって、今回の原発事故が起こるまで、そういう気持ちがだんだん大きくなっていたんだ。 今になって考えてみると、それは全然納得なんかしちゃいけないことだったんだ。経済の成長と、そういう隠蔽工作とかはたぶんぜんぜん関係ない。基本的な対立軸はそんなところにはなくって、僕らが生きていくのにどんな技術を追い求めていくのか、原発や宇宙開発に代表されるようないわゆる「巨大技術」なのか、「中間技術/適正技術」なのかっていう問題で、前者を選んだとしても、企業は統治されなくちゃならないし、民主主義の社会なんだから情報は公開されなくちゃならない。そして、不都合なことが起きたら、なおさら、きちんと明らかにして、人がそれぞれ、対策をとれるようにしなくちゃならない。

チート的なやりかたで企業を守ったりしなくても、経済を発展させることはできたんじゃないだろうか。まあそれは議論の余地があるにしても、その果ての今になって、なぜ僕らは貧しくなることに恐れをいだき続けているんだろう。今、ぼくらの社会はそれなりに豊かで、食べるに困る事もないのに、ちょっと調子が悪くなると、毎日電車に向けて飛び込む人がいるのはなぜなんだろう。同じ疑問を何度もくりかえし考えている。

一言で言うと、僕らは、豊かになりはしたが、幸福にはならなかったんじゃないか。それはなぜなんだろうか、ってことだ。幸福度に関しては、いろいろな指標があって、かつて、世界で最も豊かで安全な国と言われていたこの国の幸福度は、以前にくらべれば落ちたとはいえ、客観指標でいけば、まだそこそこいいとこにいくんだけど、なぜだか、幸福っていうか満足を感じている人はその割にすくないっていうのはたしかなようだ、たとえば、この記事。ちょうど震災の前々日の記事だね。

「公害」という言葉

思うに、その問題を解くヒントの一つがこの「公害」って言葉だ。Wikipediaで「公害」のエントリーからEnglishにとぶと "pollution"って、そりゃぜんぜん違うだろって言葉になる。"pollution"って言葉を日本語に訳すと「汚染」ってなるね。「汚染」っていうと、たぶん汚した人がいるなり、汚した組織なり企業なりがあって、誰かなり、何かなりに責任をはたしてもら おう、っていう感じになのに、「公害」っていうと、なんかおおやけのことなんだから、みんなでがまんしましょうって感じになってしまう。

この、「みんなでがまんしましょう」ってのが、息苦しさの原因じゃないかと思うわけだ。そうすると、なぜ「汚染」が「公害」になるんだろうってことにもなるわけだけど、というより、これは「公」+「害」なんて言葉が成立しちゃう(この熟語自体は中国の文献にあるようだけど、汚染って意味で使われているわけではない)ところが問題だ。そして「公」って言葉の意味がね。おおむね英語に訳すと「公」とか「公共」ってのは"public"って言葉になるのだけれど、これも言葉の間をいききするときにゆがみが生じる。これについては長くなるので、またいずれ。


* アイリーン・スミスっていうのは、ユージン・スミスの何番目かの奥さんで、ユージン・スミスがこの写真をとったころは、作品を作る上での助手みたいなことをしてた人。ユージン・スミスは、1972年に、この水俣の水銀汚染を引き起こしたチッソっていう企業の千葉の工場を訪れて、暴行を受けて(この時のチッソの会長は、皇太子妃雅子様のお祖父さんだね)、片目を失明して、その6年後に亡くなってるけど、アイリーン・スミスはまだ、ユージン・スミスが生きていた間に離婚している。いろいろややこしい。

2011年8月1日月曜日

お茶漬けの味

小松左京氏が亡くなった。

原発事故関連のことばかり書いていたけど、ちょっと一休み。今書いておかないと思い出す機会がないかもしれないから。

僕がSFを読み始めた頃、ってたぶん中学生くらいの時、1970年代の半ば頃だけど、日本のSF作家っていうと、小松左京、星新一、筒井康隆あたりが山脈にたとえれば主峰で、そのまわりに、光瀬龍とか眉村卓、とか平井和正とかがいた。SF作家だけでも高名な人は他にもたくさんいるけど、僕はその後どっちかっていうと海外SFばかり読んでたから、読まなかった人は省く。別格にSF的なものも含めて前衛小説を書く安倍公房っていう人がちょっと早くから活動を始めていて、小松左京も影響を受けたみたいなことを書いていた。SFの人じゃないけど、高橋和巳なんて人とも親交があったってことを、今回の訃報に接して始めて知ったんだけど、とにかく、この頃この国の文学界は今よりずっと活気があったような気がするのは気のせいかなあ。まあ文学界に限ったことじゃないけど。その頃、その主峰3人の中でも、星新一の書くものはまあ、とんちみたいなもので軽く(この人の作品だと、僕はショートショートよりも「人民は弱し官吏は強し」っていうのが一番好きだ、伝記だけど、官僚批判の元祖みたいなもんです)、筒井康隆のは疾走感っていうか狂ったような味わいがあったけど、小松左京の書くSFはアイデアが分厚くて読み応えがあった。

デビュー作の「日本アパッチ族」についてはいずれ書くかもしれない。どうも理に落ちているような「日本沈没」なんかよりずっといいし、Aちゃん、あなたたちもこの本はそのうち読むべきだ。くず鉄を食べて、純粋な鉄をひり出すアパッチ族っていうのはこの人の創作だけど、終戦後すぐの大阪には実際に「アパッチ」と呼ばれた人たちがいたらしい。そのことは、もっと事実に近い形で他の作家、開高健とか(最近だと梁石日とか)も書いているけど、実はその時代の雰囲気をまるごと伝えているのは小松左京なんじゃないかって、中学の時の先生が言っていたのを覚えてる。

それはともかく、この人の作品は(「日本アパッチ族」以外は)短編がいい。その中でも僕がいちばん好きなのは「お茶漬けの味」。SFには、人類ほとんど絶滅後の世界にちょっとだけ生き残った人たちを描くっていう伝統的なジャンルがあって、この生き残り方にもいろいろあるけど、亜光速宇宙船で宇宙探査にでかけている間に人類はほとんど絶滅してましたっていうのがこの作品(「猿の惑星」が同じパターンだね、最近のアニメだと「エウレカセブン」もちょっと似た状況か)。ほとんど、絶滅していた理由っていうのが、この当事としてはたいへんユニークだったんだけど、もっとユニークなのは、主人公の少年っていうのが、宇宙探査船でコックをしていて、地球にもどってから、お茶漬けを食べることを夢見て、たいそう苦労しながら、米を作り、米から糠を作り、茄子を育て、茶の木を植える。とことん食べものにこだわる話だってこと。

食べ物にこだわるなんてみっともない、それもお茶漬けなんて、って思うかい。思わないでいてくれるとうれしいんだけど。このお話は文化っていうことについて語ってる。文化っていうのはね、何を食べるか、何を着るか、どんな家に住むか、どんな風に暮らすかっていうことなんだよ。それもね、食べるってことにしても、高級なレストランで何を食べるかっていうことじゃなく、ぼくらが、ふだん自分の身の回りで何を作り、どんなふうに調理して、どんなふうに食べるかっていうことが大事だってことを教えてくれている。

3月11日の後、ぼくらは便利で快適なくらしを求めて、原発みたいな「巨大技術」を追い求めるべきなんだろうか。それとも一人一人がそれぞれに必要なものを作り、そういう暮らしを少し便利にする「中間技術/適正技術」を求めるべきなんだろうか、ってずっと考えている。小松左京って人は、巨大技術の極北みたいな宇宙開発について、それを促進する活動をずっとやっていたけど、一方で若い頃にこんな作品も書いてたんだね。亡くなる前に、この原発事故の後、この人が巨大技術に関してどういうことを言うか聞いてみたかった、って結局原発事故の話になってしまった。

2011年7月3日日曜日

単位の小事典

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もう一冊の科学啓蒙書

やはり、高木仁三郎先生が書かれた、もう一冊の科学啓蒙書。「元素の小事典」はすごくいい本だけど、こちらは普通にいい本。とはいっても、単位っていうのは、おろそかにしていると、わけわかんなくなっちゃうし、単位全般について、読み物になっている良い解説書っていうのは他にあんまりないから、勉強をする上ではこっちの方が大事かもしれない。もっとも、この本についてちょっとだけ書いておこうと思ったのは、勉強についてのことではなくて原発事故関連だ。

原発はある意味原爆よりおそろしい

今回、原発事故が起きた時、ヒロシマにやナガサキにくらべればたいしたことないよ、みたいなことも言われていたよね。それが間違いだということが、この本の中、エネルギーを測る単位を記述した項目に明瞭に書かれている。

最近は「出力100万キロワットの原発」というような表現がよく新聞に出てきます、これは毎秒1000,000,000(10億)ジュールの電気をつくっている原発のことです。なにか、ものすごく大きい感じがしますね。ところが、これでおどろいてはいられません。実は、この原発では、毎秒30億Jほどの核反応による発熱があり、その3分の1ほどが電気になっているのです。残りの3分の2、つまり毎秒20億ジュールは温排水として、海に捨てられているのです。この大きさの方におどろきませんか。
ついでに述べておくと、広島に投下された原爆は、爆発威力が15キロトンだったとされます。これは、TNT火薬にして、15キロトン、すなわち15000トン分の爆発ということですが、これはおよそ70兆ジュールの発熱にあたります。これは核分裂反応による発熱で、それがあの広島の大破壊をもたらしたのですが、このエネルギー量は100万キロワットの原発が約7時間で発生する量に相当します。ということは100万キロワットの原発は、広島原爆を1日に3回あまり爆発させる(制御した形ですが)だけの核分裂をし、それに相当する燃えかす=死の灰を出していることを意味します。仮に1年300日原発が稼働するとすれば、広島原爆千発分の死の灰が発生することになり、これが後々まで残る放射性廃棄物(核のゴミ)問題として、いま人類が頭を悩ます問題の一つになっているのです。pp76-78

今回の事故でも、水素爆発は起きたけど、核爆発が起きたわけではないから(3号機では少なくとも核反応はおきてたみたいだけど、爆発だったのかどうかは分からない)そりゃあ、影響のしかたは全然違うけど、まき散らされた放射性物質の量という意味でいえば、ヒロシマ、ナガサキよりはるかに大きいし、これからももっと大きくなる可能性があるんだ。というのは、福島第一原子力発電所の原発の出力は、1号機が46万kW、2から5号機78.4万kW、6号機が110万kWだ。ということは、運転していた、1号機から3号機までがあわせて約200万kWで、毎日、広島原爆6発分の放射性廃棄物を作ってたってことになる。これもいつか書ければ書くけど、放射性廃棄物の処理っていうのはぜんぜんめどがたってなくって、とりあえず、使い終わった核燃料っていうのは、原発の横にある貯蔵プールにため、そこがあふれれば、中間貯蔵施設に送るってことをやってる。フランスやイギリスの処理施設に送って、プルトニウムを取り出すなんてこともやってるけど一部だけだし。処理したからってあぶなくなるわけじゃない。今回、事故が起きた時に運転していた1号機から3号機の炉心には、広島原爆にして6X(運転日数)発分の放射性廃棄物がたまっていたわけだしそれぞれの原発の横の燃料プールにはたぶんそれ以上たまっていたはずだ。正確な量はわかんなくても、ものすごい量だし、一部漏れ出しただけでもたいへんなことだってことが分かるよね。そもそも運転していなかった4号機では燃料プールが原因で爆発が起きたわけだし、運転していなくても十分おそろしかったわけだね。

 

ベクレルとシーベルト

僕がこないだからはまっている、制服向上委員会の「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」にも、

それはそれは 習わない言葉が溢れ
ベクレル セシウム メルトダウンにタービン建屋
モニタリングに 高い マイクロシーベルトもう

なんてのがあるけど、この中の、ベクレルとマイクロシーベルト(=10-6シーベルト)ってのが単位で、この2つの言葉については、この本をちゃんと読んでおいた方がいい、その理由もこの本に書いてあるので、最後に引用、

時代とともに新しい概念や単位に適応しなくてはならなくなったことに、原子力に関する単位があります。これは本章の冒頭で述べた地震に関する単位と同じで、あんまりうれしいことではありませんが、うまいつき合いをしておかないと、命に関係してきます。pp.89

そう、命にかかわるんだよ。

 

2011年6月30日木曜日

元素の小事典

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高木仁三郎という人

この本の著者は高木仁三郎、反原発で有名な人だ。もう亡くなった人だから、だったと言うべきなのかもしれない。反原発の立場に立つ人にもいろいろあって、広瀬隆なんて人はたいへん印象深いことも言うが、トンデモに近い発言も混じってるのに対して、この先生は、地味だけれどまともなことしか言わなかった。原発推進の立場の人の中にも、この人のいうことであれば耳を傾けるという人が少なからずいたらしい。で、この人、原発の危険性を警告するような本ももちろんたくさん書いているけど、ただの科学啓蒙書も何冊か書いていて(亡くなる前には小説も書いていらっしゃる)これは、その科学啓蒙書の方だ。こんな時になぜ、原発の本じゃなくて、科学(化学)の本をすすめるのか、って思うかもしれないけど、Aちゃん、こういう時だからこそ、こういう本を読んで知識を得てほしい。正しく怖がるためには、知恵だけじゃなくて知識が必要だからだ。

正しく怖がるのはむずかしい

正しく怖がるっていうのは、ほんとに難しい。だって、怖がってる時点で人間冷静じゃいられないんだけど、正しく怖がるためには冷静でいなくちゃならない。まあ、冷静であろうがなかろうが、正しく怖がろうが、正しくなく怖がろうが、あんまり結果は変わらなかったりするようなこともある。たとえば、山の中で熊に出会ったら、逃げるか、かくれるか、どうしようもなければ闘うしかないし、その結果は君が何を選択したかよりは、熊のおなかがすいていたかとか、どんな気分だったか、いやそもそも出会った熊がどんな熊だったかの方によるだろう。ジャングルで毒蛇にかまれたら、ってのもあるけどあんまり面白い話にはなりそうにない。それはさておき。毒蛇にかまれた時はもちろん、熊におそわれそうになった時だって、冷静であるに越したことはないけど、状況自体は難しくはあっても、怖がる事自体はそれほどむずかしくはない(たぶん)。正しく怖がることがむずかしいって最初に言ったのは寺田寅彦*1って人で、これは浅間山の噴火について言ったものだから、自然災害とかを怖がることが難しいという意味だったんだけど。現代の生活では、もっと正しく怖がることが難しいものが、それも一つではなくたくさんある。たとえば目に見えない化学物質もあれば、オゾンホールの問題とか、地球温暖化の原因になる温室効果ガスとか、感染性大腸菌とかプリオンとかだけど、やっぱり一番難しいものは、今回の原発事故で問題になっている、放射線と放射性物質だろう。

放射線・放射性物質を正しく怖がるのは本当に難しい

まず放射線自体が一つのものではなく、いろいろある。通常の放射性物質から出るのは、α、β、γ線の3種類だけど、核反応が起きている時には、中性子線なんてやっかいなものも出る。オゾンホールから地表に達する宇宙線の中には、もっといろんなやつがある。これらは、それぞれ性質が違い、たとえば、この後で書く遮蔽のしかたがそれぞれ違ってたりする。ちなみに中性子線はほとんど遮蔽できまへん。それでも、放射性物質が体の外にある場合には、放射線の量をはかり、それが人体に及ぼす影響を見積もることはそれほど難しくはない、その放射線が人体にあたえる影響を量る単位が最近ミミタコなシーベルトってやつだね。そんでもって、放射線を出すもの(線源っていう)が体の外にある時、それから身をまもるためのために大事なことは3つしかない。放射線防護の三原則、距離、時間、遮蔽っていう。距離というのは、線源からできるだけ離れるということ、時間というのは、線源の影響下にある時間を短くするということ、遮蔽というのは、線源と人体の間に、放射線を遮るものを置くということだ。これは違うことを言う人もあるだろうと思うけど、僕がこの原則を教わった時は、この3つの原則には優先順位があって、距離>時間>遮蔽 の順番に大事だと言われた。とにかく線源から離れられれば、離れるにこしたことはない、それでも近づかなきゃならない時はできるだけ時間を短くする、それでも被ばくしそうな時は、いろんなもので遮蔽することを考えるってことだ。ここまでの話、線源/放射性物質が体の外にあってそこから出る放射線の影響を受けることを外部被ばくっていう。ここまででも十分難しいと思うかもしれないけど、放射線物質がもっとやっかいなのは内部被曝、放射性物質が体の中に入る場合だ。なんせ、体の中に入ってしまった場合は、放射線防護の3原則が全部効かない、体の中に線源があるんだから、距離のとりようがないし、時間を短くしようったってできやしない、崩壊して(ということは放射線を出して)安定した元素になるか、体の中から(排泄物とか、汗とか、老廃物とかで)勝手に出てってくれるのを待つしかないわけだ。それでも、この部分はやっかいではあっても難しくはない、熊に襲われたら、とか蛇にかまれたらというのとある意味同じで、体の中に入ってしまったら、怖がっても、怖がらなくても結果は同じだ。ただ、放射性物質が蛇や熊と違うのは、蛇や熊は目に見えるけど、放射性物質は多くの場合、目に見えないというところだ。しかも、放射性物質は種類が多く、しかも、それぞれの種類が、どういう種類の放射線を出すか、化学的な性質はどうか、それによって体内に入った時にどういうふるまいをするか、そこまで分からないと、体内に入った放射性物質の量が分かっていても、危険の度合いをみつもることができないわけだ。体内に入る前の段階でも、環境中に放出された放射性物質がどういうふるまいをするか、たとえば、どういう食品の中に入りやすいか。土壌の中に入りやすいか、空気中に拡散しやすいか、地下水の中に入りやすいかとか、あるいはたとえば土壌とか水の中にとかに入った放射性物質をどんなふうにすれば除去できるのかなどを考えるにも、それぞれの物質の化学的性質が出発点になる。そういう話については、今でも分からないことも多い、専門家(反専門家っていうか反キリストっていうか偽預言者っていうか御用学者みたいな人も多いわけだが)があーでもないこーでもないって言ってるこくらいだから、分からなくて当たり前なんだけど、しっかり勉強しておけば、どこまでが分かっていて、どこから先が分かりそうにないのかはなんとなく見当がつくようになるし、そうすると、御用学者とかの言葉にもだまされにくくなることはできる。つまり、繰り返しになるけれど、だまされないようにするためには、だまされないようにしようと思うだけではだめで、きちんと学ぶことが必要だということだ。孔子様がそう言ってる*2

元素のことを書いた本もいろいろあるけど

この本はとてもいい本だ、Aちゃんが、化学を学ぶとっかかりにもいい本だけど、僕もこんどこの本を読んでみていろいろ分かったことがある。たとえば、アクチノイドとかランタノイドなんていう一群の元素が周期律表のあんなところに押し込まれている理由が(たぶん高校や大学の時にちょっと勉強してれば、いまさら気付くことでもないので恥ずかしいけど)やっと分かったし、放射能といい、放射性物質と言われるものが特別なものではないんだということにもあらためて、今更ながらなっとくした。知識についての本であればどんな分野のものでもいい本っていうのには共通の特徴が一つある。それは当たり前だけど、本を書いた人が、その本が対象としている事物をよくわかっているってことだ。この本のところどころに、この先生がやっていた実験の話が出て来る、で、その実験の雰囲気がリアルに伝わってくることに何度か驚いた。これってね、ほんとに大事なことなんだよ。科学や技術の分野では文字では伝えられない知っていうのがあって、それはある discipline*3 の中で実際に手を動かさねば会得できないものなんだけど、そういうものがあるっていう雰囲気だけでも文字で伝わるっていうのはほんとにすごいことだと思う。この本を読んだ高校生がその後地球科学の分野に進んで、ある発見をしたっていう話がかいてあるのにもびっくりしたけど、この本ならそういうことはあるんだろうな。その他にも、この本を読んであらためて「普遍と個物」なんてことについて考えたりした。というか、学問の中で数学とか物理が普遍寄りで、それと個物をつなぐ最初の discipline が化学なんだなってこと。中世のあまり実りのない普遍論争から、現代の知はこういうところまできたんだなあ、と思った。人の知はやっぱり進歩してる、天安門事件とか、最近の原発事故がらみの政治家の対応とか見てると、道徳はあんまり進歩してないんじゃないかとも思うけどね。

ヒ素と水銀とカドミウム

この本は、まずは勉強のために読んでほしいし、次にはたとえば放射性物質とか(放射性同位元素とか放射能といってもほぼ同じ意味だ)とか原発とかを正しく怖がるために、というより、正しく怖がれるようになるための第一歩として読んでほしいんだけど。もう一つ、注意して読んでほしいことろがある、それは具体的には、ヒ素と水銀とカドミウムのところ、科学や技術が、産業や政治を通じて、どんなふうにに世の中とかかわっていくかということのとっかかりの話だ。このことについてはまた後で書くよ。


*1 寺田寅彦っていう人がどういう人かっていうのはぐぐれば分かるけど、要は、明治時代の東大の物理の先生で、科学者であるのと同時に、夏目漱石の一番弟子で随筆家としても有名ということ。「天災は忘れたころにやってくる」ってのもこの人の言葉ということになってるけど、正確な文言としてそう言ったわけじゃないってのは、この寺田寅彦の弟子で中谷宇吉郎って人がどっかに書いてる。この人の随筆はありがたいことに、青空文庫でだいたい読める。この言葉以外に特段のことが書いてあるわけではないので別に読まなくてもいいけど、さがして読みたいいなら原文はここここにある。

*2 論語 為政第二の15 に、「子曰く、学びで思わざれば則ち罔くらし。思いて学ばざれば則ち殆あやうし」とある。別のところでは、論語 衛霊公第十五の30に、「子曰く、吾嘗かつて終日しゅうじつくらわず、終夜寝ねず、以て思う。益無し。学ぶに如かざるなり」っていうのがある。孔子様はいろんなところで、勉強が大事だって言ってる。今の教育でも創造性が大切だとか、「自分の頭で考えなさい」みたいなことを言うけど、暗記とかを含めた勉強なしに、創造性を発揮しようしたりするのって、燃料なしに飛行機を飛ばそうとするようなものなんだね。

*3 disciplineっていうのは日本語にするのがちょっと難しい。「学問」とか「規律」とかいうふうに訳されるんだけど、僕の語感では、「ある分野の学問の中にある体系だった方法全体とそれを身につけるための訓練法」みたいな感じ。昔読んだこの本にかいてあった気がする。

2011年5月15日日曜日

絶対安全剃刀

進学校の高校生って、よく「おどかしっこ」(©庄司薫)をやるよね。たとえば、「おい、知ってるか、数学で、どんな公理系をとっても、それは完全やないんやで」*とかいうやつ。文学方面なら、たとえば、「与謝野晶子って子どもにすごい名前つけたんやで、アウギュストとか、エレンヌとか」となる。こういうことは、あらゆる分野におよぶので、マンガでもやる。男の子の場合、少女マンガを使うのは通常の戦略だった。そして、「絶対安全剃刀」って不思議な題のマンガを知ったのは、こういう「おどかしっこ」の中だったと思う。浪人していた時だったか、大学の教養過程の頃だったか。「高野文子ってすごいんだぜ」って言われて、「だれや、それ」って返したのはたのは覚えているけど、誰に言われたかか忘れてしまった。

これは、漫画の歴史ってものがあるならば、その歴史に残るような作品だから、wikipediaにも独立のエントリーがある。引いてみてもらってもいいけど、あらすじまで書いてあるのでネタバレがきらいならやめといた方がいい。うちの本棚にも一冊あるよ。探すのがたいへんだと思うけど。でね、その本は別に今読めとは言わない。言いたいのは、そもそも現実の世界に絶対なんてものはないのかもしれないけど、ましてや、安全とか危険とかに絶対はない、っていう話だ。

だいだい、こういう言葉を作られるとよくわかるけど、「安全剃刀」とか「安全ピン」っていうのが面白い。「愛される共産党」とか「みなさまのNHK」とかと同じくらい面白い、ってつい言ってしまったけど、わかんないよね。スルーしていいよ。

話を戻して、これ、なぜ面白いかっていうと、剃刀は切ったり削いだりするもので、ピンは刺すものだから、安全じゃない、危険なものだ、ただそれに安全って言葉がつけれられるのは、工夫によって他の剃刀よりはヒゲをそるときに、肌を切ったりしなくなったり、他のピンより指を刺したりしにくくなっているからだよね。つまり、安全とか危険とかは相対的な、方向性の問題なんだね、他のものとくらべてより安全であるこという意味での安全、より安全を求めるという意味での安全。逆に危険というのも、他のものとくらべてより危険という意味での危険、あるいは危険であることを予測し、それに備えるという意味での危険、そういうものでしかない。

くどいようだけど、別の言葉でくりかえすと(こういうのを敷衍する、っていう)、安全とか危険っていうのは、存在するのではなく、可能性の問題だということだ。だからどんなものでも、安全でもあるし危険でもある、表裏一体なんだよ、そしてそこに絶対はない。

だからね、絶対安全ってのがウソくさいんだ、というより、絶対安全とか、全く安全とかいう言葉が出てきたら、それはもうウソそのものだと思っていい。ところが、原子力発電所については、この「絶対安全」っていうウソがこれまでまかり通っていて、これがウソだとばれると、今度はミリシーベルト)までは全く安全っていう別のウソをついている人たちがいる。それにそもそも、危険に備えて、安全を求めなくてはいけない時に、危険はないから、安全だから、危険に備えなくていい、っていうのはどういうことなんだろう。

この話は本筋からちょっとずれる、ほんとは、今度は元素の話をしたかった、それがこんな話になってしまったのは、この件が気になったからだ。

原発事故の現場はひどいことになっている。放射線が強すぎて、2時間そこにいると半分の人が死んじゃう、4時間そこにいるとみんな死んじゃうという場所があるらしい。そして、今回の事故を終息させるためには、誰かがそこで働かなくちゃいけない。ぼくらの体をめぐっている血液の中には、赤血球とか白血球っていう細胞があって、この働きで命が支えられているのだけれど、こういう放射線の強い場所にいると、すぐには死ななくても、いろんな血液の病気が起こってくる、白血病とか、再生不良性貧血だとか。で、こういう病気になった時、治療の手段として(正確に言うと、一連の治療手段の一つとして)大変有効なものが、自己血輸血っていうやつだ。その究極のやり方が、上のリンクにある自己造血幹細胞の移植だ。

これも繰り返しになるけど、今回の事故が起こって、放射線は安全だ安全だと言い回っている人たちがいる、そりゃそうかもしれない、今言ったように安全と危険は表裏一体なのだからね、でも、プロパガンダ(政治のためにする宣伝)として、安全を強調しなきゃなんないというのは、逆にいうとそれが危険なからなんだ。 だから、なんとか、少しでもそういうところで働く人たちを安全にするためにはあらゆる手段をつくさなくちゃならない。そのための手段の一つが、この自己造血幹細胞の保存なのだけれど、あきれたことに、これに反対する人たちがいるんだ。しかもその人たちは、ざっくり言うと、今回の事故にあたって、そういう現場で作業する人たちがあびていいとされる放射線の限度を引き上げた人たちなのだね。

その人たちは、安全だから限度を引き上げました、安全だから、そんなことしなくていいですよと言う、これがどんな風にまちがっているか、どういう意味で魔女のことばなのかは、もう分かるよね。ほんとは、みんなを少しでも安全にするために、しかたがないから、そういう場所ではたらくひとたちにいままでよりも大きな危険を冒してもらうことにしました、その人たちが安全に働けるようにするために、できる限りのことをします、って言うべきなんだ。

後で書くつもりだけど、僕らは原発で作られた電気を使うことで、すこしずつ、人間性を失っていたのだと思う。この造血幹細胞の保存だって、いい考えとは言えない。「これをやっとけば安全だから、受けておいといて下さい」なんてとても言えない、「あなたがそこでどうしても働かなくちゃならないのなら、危険をすこしでも安全にするために、受けておいて下さい」って泣きながら言わなくちゃいけないような事柄だ。ところが、何度も言うけど、ある人たちは、薄ら笑いをうかべながら「安全だから、そんなことしなくていいですよ」って言うんだ。

さっきからおんなじことばかり言ってる。このまま書き続けているとおかしくなってしまいそうだし、夜も明けてきたので、今日はここまで。


* きみがこういうふうに言われたら、にっこり笑って「完全ってどういう意味なの」って聞いてみよう、たぶんちゃんと説明できるのは10人に1人くらい、「無矛盾」っていうこととの関連、で、どういう系が「無矛盾で完全」ではありえないのかって説明できるのは100人にひとりくらい、その証明の概略をきちんと言えるのは1000人に一人くらいだと思う。

2011年5月5日木曜日

いいは悪いで悪いはいい

前回、「スモール・イズ・ビューティフル」から引用したけど、これはシューマハーって人が書いた本。で、 題はシューマッハーがケインズ卿の言葉として引用しているんだけど、これ、ケインズ卿が言った言葉じゃなくって、シェークスピアの「マクベス」に書いてあるんだ。魔女の言葉としてね。なんだかふしぎなんだけど、原発の事故があってから、いろんなところでこの「いいは悪いで悪いはいい」って言葉が聞こえてくる。魔女が言ってるんだか、魔獣が言ってるんだかわかんないけどね。

例えば、

  1. 放射能ってのは実験なんかで使うこともあって、そういう時は、放射線管理区域っていう、きちんと区切られた場所で使って、放射能をそこから外に持ち出しちゃいけないってことになってる。ほんでもって、そういうところの中であっても、放射能を使える場所は決まっていて、ほんの4万ベクレル程度の放射能を床にこぼしてしまったら、こぼしたところの床のリノリュームをはいで、コンクリ削って、放射能を含んだその削りかすとはがした床材を、しばらく専用の場所に保管して捨てるって、それはもう大騒ぎになる。ところが、今回全体としては、その16兆倍くらい*1の量の放射能がばらまかれてるのに、安全だがら、何もしなくていいそうだ。あるいはよけいなことはしない方がいいそうだ。最近は批判にさらされて、何かやりたければやってもいいよ、ってのも言ってるみたいだけど。
  2. 福島原発の事故を受けて、東京電力と、原子力安全保安院は定例会見を開いている。この会見、日本の記者クラブ向けのやつには、まだ人が来ているけど、4月25日、外国人記者クラブ向けの会見にはついに一人も対象になる記者が来なかった。その動画を見たけど、背筋が凍るような光景だった。だあれもいない会場に向けて、延々、淡々と発表を続けているんだよ。言葉っていうのは、だれかに向けてのものであって。心の中で、シミュレーションとして自分に向けてやることはあっても、声に出して独り言をやっていると、精神を病んでいるとみなされる、ところが、そこでは、社会的に正気とみなされている人たちがえんえんと独り言を声に出しているんだ。全く、魔女の結界の中みたいだった。
  3. こういうことに比べれば、小さな問題だけど、どうして「よいは悪いで、悪いはいい」になっちゃうのか、っていうのが良く分かるのは、東電は原発の事故があるまで、コジェネ*2で作られた電力を買うことを拒否していたのに、事故以降、頼んで回って買ってるってことだ。たしか、以前買わなかったのは、電力の安定供給がどうのとか、送電網に適合しないのどうのだったとかだったけど、今回買い始めたことで、それはやる気になればどうにかなったことで、本当の理由は別にあるってことが良く分かる。本当の理由っていうのは、もう言わなくても分かると思うけど、コジェネの電力買うより原発を作って動かした方が(社会全体にとしてどうかではなく、東電にとっては)儲かるからだ。

まあ、よいとか悪いっていうのは、立場にもよる。ある人にとって良い事が、別のある人にとっては悪いってこともあるし、ある状況ではいけないことが、ある状況ではいいってこともあるらしい。「1人殺せば殺人者だが(戦争で)100人殺せば英雄だ」*3ってやつだね。それでも、ある時まで、ある共同体の中で、ルールによって悪いとされていたことが、ある時から、急に良くなっちゃうってのは問題だ。

それよりもっと問題なのは、ある時までは、これが正しいとなっていたことが、ある時を境として突然、いやそれは違うってことになるってことだ。

これもね、「事実は存在しない、あるのは解釈だけだ」(ニーチェ)なんてこともあるから、やはり、人によってものの見方が違うってことはある。でも、これは、その人の世界観によってってことであって、一人の人が、ある都合である解釈をしていて、都合が悪くなったから別の解釈をするっていうのはおかしいんだね。それが端的に出ているのは、最近になって、TVに出てる多くの専門家が、放射能/放射線は100 mSvまでは安全って大合唱し始めていることだ。ついこないだまで、急性障害=非確率的影響に関しては閾値(いきち)ってものがあって、これ以下であれば影響がない、安全だっていうのはあっても、晩発性障害=確率的影響には閾値がなく、これ以下であれば安全ってことは言えないっていうふうに言われていたんだ。

これはね、思い切り平たく言うと、ある嘘が嘘だとばれちゃったから、こんどは別の嘘をつくことにしました、ってことだと思う。このことについては、話が長くなりそうだから、また別の日に書くけど、今、このことを書いていて思い出した言葉がある、それは「絶対安全剃刀」って言葉。これ高野文子って人のマンガの題名なんだけど、なんかおかしな響きがあるだろう。どうして、「安全剃刀」って言葉に「絶対」って言葉をつけるとこんなにおかしな感じになるんだろう。これは本来「絶対安全」って言葉だけでもおかしいってことをこの表現があらわにしているんだと思うよ。


*1 4月12日頃までに、福島原発から外にばらまかれた放射能の量が、原子力安全委員会の発表によれば、6.3X1017 Bq、これを元に計算した。半径30kmの円を描いて、その面積とふつーのおうちのリビングルームが20 m2くらいだから、これを比較すると、1.4億倍ってことになる。これが何を意味するのか、よーく考えてほしい。

2011/07/03 この項、間違いがあり、訂正しました。床にこぼした放射性物質と、今回の事故で漏れた放射性物質の量の比と、30 km圏の面積とリビングルームの面積の比をそれぞれ、京→兆、兆→億に訂正しています。ただ、面積あたりにばらまかれた、放射性物質の量の比はかわらず、30km圏をリビングルーム相当とすると11万倍くらいってことになる。

*2 コジェネレーションの略、外来語みたいだけど、日本語。詳しくはこちら

*3 チャップリンっていう20世紀で最も偉大とされている喜劇俳優の「殺人狂時代」っていう映画の台詞が元らしい。そもそも、戦争の原因は構造的暴力であるって言われるけど、そのもっと大元までさかのぼると、この、ある人にとってよいことが、ある人にとって悪いってところにいきつく。むずかしい言葉でいえば、共通善の問題ってことになる。ただ、共通善の欠如しているから戦争や暴力が起きるっていうんではなくって、共通善を求める努力を当事者同士が放棄した時に、暴力や戦争にいきつくんではないかって思うんだ。

2011年4月29日金曜日

わが亡き後に洪水は来たれ

もう分かってると思うけど、僕はこの文章を原発の事故があったから書き始めた。

だから今回の事故がどの程度危ないかってこともいずれ書くつもりだし、原子力発電についてどう思っているかも書かなくてはいけないんだけど、その前にいくつか書いておきたいことがある。それは、Aちゃんが生まれる前の時代に、僕らがどんな考えに親しんでいたかって話だ。

僕が子どもだった時、家の本棚に、岩波文庫の「資本論」って本があった、大人の本でもそこらにあると手当たり次第に読む子どもだったけど、この本には歯がが立たなかった、それで母さんにきいた、なんでこんな本が、ここにあるのって、そしたら母さんが言ったんだ。

「あなたがおなかの中にいる時読んでいたのよ」ってね。

胎教ってやつだったらしい。

Aちゃん、あなたたちにはまだわからないかもしれないけど、こんなことを書くと、おまえの母さんはアカだったんだろうとか、ついでにおまえもアカだろうとか、そういうことをすぐに言う人たちがいる。もうイデオロギーなんてほとんどどうでもいい時代になってるので、そんなことはほんとにどうでもいいんだけど、この、右翼と左翼とか、源氏と平家じゃないけどアカとシロっていうのは、20世紀にはけっこう盛り上がった話なので一応解説しとく。

ここでいうアカっていうのは仏さまにあげるお水のことじゃなくって、 赤、共産主義者のことだ。ロシア革命っていう、共産主義革命の時、革命側、共産主義者の軍隊を赤軍、革命側じゃない方(保守とか、革命側の人たちは反革命とか保守反動って呼ぶ)は白軍っていった。Wikipediaによれば、この赤っていうのは、ロシア革命で流された労働者の血の色なんだそうだ。

共産主義者っていうのが、どういうものなのかもわからないかも知れないけど、ざっくり言うと、左、左翼っていうのが、共産主義とか社会主義とかいう立場の人。何も持たない人々(賃金労働者とか、農奴とか戦前の日本の小作人とか、資本論はそういう人を「自分の 皮以外に売るものをもたない人々」って言ってるらしい)、の味方で、いろいろ持ってる人(王とか貴族とか資本家とか地主とか)の敵。保守主義者、右、右翼っていうのが、その逆、ってことになってる。右翼 vs. 左翼っていう区別は、ロシア革命よりもっと前の、フランス革命にさかのぼる。

僕は子どもだったので、母さんの投票行動については知らないけど、僕の母さんは全然共産主義者じゃなかった。尋常小学校(たぶん3年生くらい)の時に、歴代天皇の名前ーじんむ すいぜいあんねい いとく こうしょう こうあん こうれい こうげん かいか すじん すいにん けいこう せいむ ちゅうあい おうじん にんとく)...ーってのを一晩で暗記して、全校生徒の前で披露して校長先生に、たいそうほめられたってのが自慢だったし、女学校*の時は学徒動員で軍需工場で働いていたし、戦後も、もう戦争はいやだっていうふうには思っていたとおもうけど、別にそういう工場で働いていたことを後悔も反省もしてなかったし(勉強というか学業が戦争のためにまともにできなかったことはとても残念がっていたけどね)、日曜日の朝は、起きていれば「皇室アルバム」は必ず見てた。起きていればっていうのは、毎日午前3時か4時頃まで働いて、朝は7時前には起きて僕の弁当つめてくれたりしてたから、日曜日だけは朝9時頃まで寝ていることが多かったからだ。

なんだか想い出話みたいなことを書いてるけどなぜかというと、やっぱり震災後にふと思い浮かんだ言葉について、いろいろ調べているうちにどうも出典がこの「資本論」って本らしいってことが分かったということが一つ。もう一つはソビエト連邦が崩壊し、共産中国が、なんだか変なことになっちゃって、共産主義っていうのは今、たいへん評判がわるいけれど、1950年代から60年代にかけて、ごくふつう(まあ、ふつうの人なんていないっていうのもそれはそうなんだけど)のおばさんでも、胎教に共産主義のバイブルとも言われるこの本を読んだりしちゃうような空気があって、たくさんの人は未来は共産主義のものだ、あるいはものなんじゃないか、ちょっとこわいけど、みたいに思ってたってことだ。

で、思い浮かんだ言葉っていうのは「わが亡き後に洪水は来たれ」、っていう。こんなふしだらなことをやっていたら、そのうち神様がお怒りになって、ノアの洪水みたいに世界のすべてが押し流されてしまうよ、なんてことを言う人もいるけど、わたしの知ったこっちゃないわ、どうせ洪水が来るとしたってわたしが死んだ後でしょ、そうよ、洪水なんてわたしが死んだ後にくればいいのよ、てな意味だ。

ルイ15世がフランスの国王だった時代に、国王の公認の愛人で、へタレだったルイ15世に代わって実権をにぎっていたポンバドゥール侯爵夫人っていう女性が言ったとされてる。ついでだけど、フランス革命っていう歴史の転換がおこったのは、この次の国王の代、ルイ16世の時だ。ルイ15世の前はルイ14世、太陽王と言われた人だね。中世が近世に移り変わる頃、色々伝統的な制約のあった王の権力が一時的にものずごく強力なものになる絶対王政の時代ってのがあるんだけど、ルイ14世ってのは、その絶対王政のチャンピオンみたいな人。「朕は国家なり」という言葉の主だ。んで、この人が戦争とか贅沢とかむちゃくちゃやったので、フランスの国家財政が傾いて、孫のルイ15世の代にもっと傾いて、その子どものルイ16世の時代に倒れそうになって、三部会っていう議会みたいのを開いて税金をいっぱいとろうとしたら、フランス革命が起きてしまって、あれやこれやでルイ16世はギロチンにかけられてしまったって流れだ。だから、この場合もふしだらなことっていうのは贅沢のことで、そんな贅沢してたら、国家の財政がたちゆかなくなってたいへんなことになりますよ、って言った人に対して言ったとされる。実際、この人が死んじゃってから洪水(=フランス革命)が起きちゃったんだから、なんとも微妙ななりゆきだ。

この言葉を資本主義の精神を端的にあらわすものとして「資本論」の中でマルクスって人が引いているのだね。ただ、この言葉がどういうふうに引かれているか知りたくて調べてみたんだけど、なかなかみつからなかった。ただ引用元をきちんと書いてある記事はあった、これ、

「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」とポンパドゥール侯爵夫人

ただ、この言葉は母さんが読んでいた、岩波文庫版の「資本論」にはなかったようだ。今日、本屋で該当部分を立ち読みしてみたら、この言葉ににあたる部分は「あとは野となれ山となれ」っていう言葉になってた。いささか味気ない意訳なのかもしれないし、かなり成立した事情のややこしい本なので、底本でも別の言葉になってたのかもしれない。ということは、あたり前だけど、僕はこの言葉をお母さんのおなかの中にいる時に知ったわけじゃないってことだ、。実際僕がこの言葉を知っていたのは、齋藤茂男っていうジャーナリストに、まんま「わが亡き後に洪水はきたれ!」って本があるので、大学生だった時に、タイトルだけだけ見て覚えていたのかもしれない。今回調べるまでは、ドストエフスキーの小説にでも出てたんじゃないかって思ってたんだ。

それはともかく、今回の原発事故みたいなことがあると、この言葉が耳に痛い。資本主義に固有のものかっていうとそれはどうだかねってのもあるけど、確かに一理ある。というのは資本主義っていうのは、際限ない物欲(それを抽象化したものとしての金欲)を肯定するからだ。後で紹介する本からの孫引きだけど、ケインズって経済学者がこんなことを言ってる。直接ではなく、今読んでいる(というより、今回のことがあって、改めて読んでいる)本の中にあった。皮肉だからちょっとわかりにくいけど前段も読まないと意味が通らないので、前段を含め、孫引き引用をする。

ガンジーはつねづね、「その下(もと)ではだれもが善人である必要のないような完璧な制度を夢見る」ことを、愚かなこととして退けた。しかしわれわれが今すばらしい科学・技術の力を借りて実現しようとしているのは、まさにこの夢ではないだろうか。科学的合理性と技術力さえあれば足りる時代に、努力しても無理な美徳をどうして求めるのだろうか。

人びとはガンジーには耳を貸さず、今世紀いちばん影響力の大きい経済学者である偉大なケインズ卿の言葉に耳を傾けようとしているのではないか。世界不況のさなかの1930年に、ケインズ卿は『孫の時代の経済情勢』に思いをこらし、みんなが豊かになる時代はさして遠くないという結論を得た。そうなれば、人は「ふたたび手段よりも目的を高く評価し、利よりも善を選ぶ」だろう、と彼はいう。

さらにケインズ卿は「だが、ご用心あれ。まだその時は到来していない。あと少なくとも百年間は、いいは悪いで悪いはいいと、自分にも人にも言い聞かせなければならない。悪いことこそ役に立つからだ。貪欲(どんよく)と高利と警戒心を、まだしばらくわれわれの神としなければならない。これによってはじめて経済的窮乏(きゅうぼう)というトンネルから抜け出て、陽(ひ)の目を見ることができるのだから」といっている。(「スモール・イズ・ビューティフル」E・F・シューマッハー著 講談社学術文庫 1986  p. 31-32

前段のガンジーの言葉も、共産主義に対する猛烈な皮肉になってるんだけど、ここではケインズ卿の言葉に注目だ。現代のいわゆる資本主社会は共産主義はともかく社会主義の要素をかなりとりこんでいるから、ちょっと素朴にはすぎるけど、資本主義をなりたたせている重要な仮説の一つが、個々人がもっとも利己的にふるまうと、市場がうまく調製してくれて、全体がもっとも豊かになる、ってものだったからだ。ケインズ自身は貪欲だけでは足りなくて、需要が足りないときには政府が財政支出をふやさなくちゃ、って言った人として知られてるけど、でもあとしばらく、貪欲が必要なのはあたりまえとしてたわけだね。

とりあえず問題がいくつかあるので考えてほしい、

  1. 日本やアメリカや西ヨーロッパのいわゆる先進国では1990年頃までに、ということは100年といわず60年くらいで「みんなが豊かになる」社会を実現したともいえるのに、そこで人は「手段よりも目的を高く評価し、利よりも善を選ぶ」ようになったんだろうか、むしろその頃から逆に経済的な較差が広がって、新しい形の貧困が問題になってきているのはなぜなんだろう。
  2. まだまだ、世界には貧しい国がたくさんある。それらの国が、いまのやり方で「みんな豊かに」なれるんだろうか。

Aちゃん、きみたちがこれらの問題について考えるためには、いろんなことを知らなくちゃならない、教えることができることについては、できるだけ書いていくつもりだけどね。


* 戦前は小学校までは共学だけど、中学校にあたるところから上は別学が基本だったので、今の中学校みたいな学校を女の子の場合は女学校っていった。ついでにいうと、一部の私立大学や師範学校(先生を養成する学校)以外の一般の大学に女の子が行けるようになったのは、戦後のことだ。

2011年4月4日月曜日

何の問題もない

次は、しんたいはっぷこれをふぼにうく、ってな話をするつもりだったけど、これは長い目で見て大事な話。今日ただいま、この非常時にもうすこし大事な話から書く。

3月11日大きな地震があった後すぐ、周りのみんなは余震のことを心配していたけど、父さんは余震のことは3番目くらいに心配してた。1番心配していたのは社会的なパニック(買い占め騒動とか、治安の悪化とか、エクソダスとか)が起きないかってってことだったけど、2番目に心配していたのは原発のことだ。周りで、地震のことを心配する人がいると、「地震より原発がこわい」って言っていたものだ。

「なぜ日本の政治経済は混迷するのか」っていうだいじな本がある。1960年代から90年代にかけて、経済官僚をやっていた小島祥一って人が書いた本で、「日本の」ってあって、実例の部分は、この人自身が見聞きした、日本の経済政策について書かれているけど、考察の部分はもう少し普遍的で、民主主義の体制の中で、公共政策がなぜ私益によってゆがめられてしまうのかってことがテーマだ。特に前半部分が、今回の原発事故に対する政府や東電やマスコミ(この国の中で大きな権力を持っている組織とそれに属する人々)の対応を見る上で重要だ。ちょっと引用する。

ここで体験したのは、日本は問題を認めることを拒み、認めても小出しの政策対応にとどまり、米欧の圧力が限度まで高まると、やっと本格的な政策をとるが、その後大蔵省が巻き返して逆コース*という政策決定の循環、問題先送りの構造だった。

この政策決定の循環過程をこの人は四幕劇と表現している。以下の四段階だ。

  1. 何の問題もない
  2. お茶を濁す
  3. 知らぬは日本(国民)ばかりなり
  4. 白旗あげて降参

「1.何の問題もない」は公共の問題があることを、当局は知っていても、それに対して政策的な対策をとることで当局の私益がそこなわれるために、何の問題もないと言い張る段階を指す。経済問題としてバブルの問題をあげるなら、バブルが過熱していてこのままだとたいへんなことになりそうだというのがうすうす分かっていても、それを日本の経済の強さだと主張して対応をとらなかった段階を指す。

「2.お茶を濁す」は、問題を部分的に認定するが、やはり抜本的な対策をとると、政治的にコストが高すぎるために、部分的な対応にとどまる段階。経済問題なら、だいたい金利とかマネーサプライをいじる。経済関係の権力でいうと、大蔵省(今は名前がかわって、財務省と金融庁になってるけどだいたいおんなじ)、日銀、財界の中では、日銀の権力が比較的弱いからだ。

「3.知らぬは日本ばかりなり」当局は前段階で問題が解決したとの言い張るが、こそくな対応しかとられていなかったので、問題は解決しない。注意深く調べれば問題が深刻化していることが明らかだが、当局が情報を隠しているので国民には知られない。だいたい国際的な非難が高まって来る、アメリカなんかからの圧力がかかるってことだ。

「4.白旗あげて降参」問題の結果がたいへんなことになって、誰の目にも明らかになってくると、こんどは対応を取らないことの方が政治的に不利益ということになってくる。で、この段階になってようやく抜本的な対策がとられる。面白いのは(ほんとはちっとも面白くはないが)、この段階になると、1〜3の段階で、問題の所在を示す情報を隠蔽し、対策を遅らせて(国民の)被害を拡大してきた人や組織が、「対策をとったのはうちだ、私だ」とふんぞりかえりはじめるところだ。

でね、この本の話を今日書いておこうと思ったのは、今回の震災の後の原発事故への対応についても、同じようなことが起こっているのではないかという気がするからだ。もちろん経済のことではないから問題の性格が違うし、1. 2.の段階は2004年の中越地震の柏崎刈羽原発の問題や、2006年頃から、試運転段階に、何度も事故を起こしていつ完成するかも分からない六ヶ所村の再処理工場の問題や、笑い事ではないのに笑っちゃうくらい抜き差しならない状況になってる高速増殖炉もんじゅの問題で、今回の大事故の問題の前にすんでいるともいえるわけ。

福島第一原発の事故が起きてからは、僕の目から見ると、まず情報を隠し、隠しきれなくなると、情報を小出しにし、楽観的な解釈ばかり意図的に流し(ほとんど嘘と言っていいようなものとか、明らかな嘘とかもあるね)てるように見える。で、また細かな(小さくはないが)問題が次々起きて2.から4.の段階をくるくる回っているように見える。だいたい嘘ついたり、問題ないと言い張ってから、問題をしぶしぶ認めるまでが2-3日っていう感じだね。

それはいい、問題が終息したとは言えず、最悪の事故に発展する可能性もないわけではないけど、そのことはとりあえず心配してもしょうがないので心配しなくてもいい。書きたいのはこれから、問題がおさまっていくように見えても注意しなくちゃならないことがあるってことだ。

上に書いた四幕劇は循環するって言ったよね。ということは4.で終わるわけではなくて。1.にもどる、つまり「ふりだしに戻る」ってのが次にある。どういうことが起きるかって言うと、4.の段階でとられたドラスティックな対策が行き過ぎだった、もう問題は解決したんだから、元に戻そうって声が必ず出てくるってことなんだ。実際今度のことでも一昨日くらいから、「やっぱり原発は必要だ」とか、「原発がいやなら停電しかない」とかいう声がぽつぽつ聞こえてきている。

この四幕劇、そして原子力発電という技術の性質(いずれ書くつもりだけど、もはや技術と言えすらしないと思う、すくなくとも民生用の技術とは)を考えると、こういう声の裏に公益ではなく私益があるということは容易に想像がつくんだ。

Aちゃん、あなたたちに考えてほしいのは、短期的には原発のことだけど、もう少し長い目では、こういうこと(四幕劇の循環)を防ぐためにはどうしたらいいかってことなんだ。こっから先は、説明ぬきだけど、こういうことは深刻さの程度はさまざまでも、民主主義の社会ーそこでは権力は多元的でなくてはならないーでは必ず起こることで、制度的にこういうことをふせぐことはできない。できるのは、最終的にこういうことのつけを回される国民がもっと賢くなり、正しく権利を行使するしかないのだね。そのためにあなたたちひとりひとりにできることは今は勉強することしかなかったりする。学校の勉強だけではないけど。

じゃあね、勉強しなさい。勉めて強くなりなさい。


* これは、戦後民主主義教育に対して「ふりだしに戻る」の段階で出てきた教育政策に対して最初に言われた言葉、「逆コース」とか「期待される人間像」でぐぐってごらん。

2011年3月21日月曜日

夜半の嵐

最初のゆれが来たとき、僕はソファーで居眠りをしていた。1メートルほど前方の机の下にもぐりこもうかと考えたけど、机の上の棚が倒れてきたらそれにぶつかることになるのでやめた。強いゆれが長く続くので、どこか遠くでとても大きな地震があったのだなとわかった。目をとじたまま、ぼんやりしたままで。

ゆれがおさまってから目をあけた。その時、子供の頃じいさんが、こんな歌を教えてくれたのを思い出したんだ。

明日ありとおもう心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

意味はね、だいたい、明日やれることを今日するな、じゃなくて、今日やれることは今日しなさい、Never put off till tomorrow what you can do today. ってのとほぼ同じ。きれいな桜がさいているけど、今日はめんどくさいから、明日見ようなんて思ってると、夜中に嵐がきて全部散っちゃうかもしれないよ。今日やれることは今日しなさい。今日楽しめることは今日楽しみなさい、人間いつ死んじゃうかもわからないんだから、目の前にあることを精一杯やりなさい、っていうこと。

今調べたら、親鸞上人9歳のみぎりの歌だそうだ。じいさんは日蓮宗に改宗したけど家代々の宗門は浄土真宗だったみたいだから、じいさんもじいさんのじいさんから口づてだったのかもしれない。

僕はじいさんやかあさんから、いろんな言葉をくちづてに聞いた、でもAちゃん、きみにはあんまり話してこなかったね、もうしわけない、慚愧の念にたえないってやつだ。こんなことを思ったときにはきみは遠くにいるし、今はこんな状況だから、それでこんなものを書くことにしたんだ。