2018年8月17日金曜日

マイ・バック・ページ

職場で、若い同僚が、TV見ながら「『アベ政治を許さない』なんて連中、中国だったら消えてますよ」と言ってた。「君は、日本が中国みたいな国になってもいいのかね、アベ政権下で、日本の報道の自由度はどんどん中国のレベルに近づいてるんだけど」って言おうかと思ったが、言わなかった。職場は仕事をするところだからね、 その翌朝、ネット動画で「マイ・バック・ページ」って2011年の 映画を見ていて、終盤近くで、あるセリフが出てきて、 「君は誰なの?君はどうしたいの?君は我が国を今の中国みたいな国にしたいの?ぼくはこう思う。ただまじめに自分の職務をこなしていた官僚が、自殺したりしなくて済む国にしたいってね」 とは言うべきだった、と思い返し、反省した。 ということで、映画のことを書きます。ネタバレが嫌で、しかもこんな文章読んでる奇特な方は、映画見てから戻ってきてくださいますよう伏してお願い申し上げます。この文章書いてる時点ではAmazon Primeで観られます。 この映画の背景については、「赤衛軍」とか「朝霞自衛官殺害事件」で引けばわかるので詳しくは書かないが、戦後の騒乱から盛り上がっていった学生運動が1969年の安田講堂事件を頂点に退潮していく中、その実質的な終わりを画するあさま山荘事件や、あの陰惨な山岳ベース事件の直前に起きたことで、私もそんなことがあったことはすっかり忘れてた。 「ガロ」とか、CCRとか、テキ屋が売ってるミニウサギとか、この時代を知ってると懐かしいものがいろいろ出てくるけど、今の時代につながるのは、党派性という抜きがたい病だ。他の国のことは知らないが、このところのいわゆるネトウヨvsパヨクの罵り合いを見ていると、我が国の文化において、この病は猖獗をきわめていると見える。この頃からそうだった、というか、ずっとそうだったのかも。流行不易の不易の方ね。悪い方のだけど。 この映画、主演二人もだけど、脇の役者が素晴らしい。特に忽那汐里がこんなにいい役者だったってのは知らなかった、で、映画の中盤、妻夫木聡演じるところの週刊誌記者、沢田、と忽那汐里演じるところの倉田眞子の会話。 「泣く男なんて男じゃないよ」 「そんなことない、私はきちんと泣ける男の人が好き」 これが伏線になって、ラストシーンにつながっていくんだけど、はっとしたのは、終盤、1:50:36からの、沢田と松山ケンイチ演じるところの、赤邦軍の首領、梅山の会話だ。ここまでに赤邦軍っていうのが、目立ちたがりの梅山がでっち上げたインチキセクトであることが明らかになってる。思想性がどーこーということではなく、とにかく目立つ事件を起こして名を上げようてのが、殺人事件にまで至ってしまった。その直後、沢田は事件をスクープできることに興奮していたが、社の方針として、週刊誌のセクションではなく、社会部が扱うことになった後、警察に通報することになり。沢田は意気消沈して、事件の意味の全体を考え始める。その段階での会話。 「なあ、君は思想犯だよなあ」 「何ですか急に」 「思想犯だよなあ」 「そうですよ」 「じゃあ赤邦軍って何だ」 「どうしたんですか」 「教えてくれよ、君らが目指したものって何なんだ、君は誰なんだ」 「沢田さんだってスクープが欲しかったんでしょ、記事が出れば僕たちは本物になれるんですよ」 絶望的に噛み合ってない会話だけど、「君は誰なんだ」っていうのは、「僕は誰なんだ」って問いでもある。沢田がついにこの問いにちゃんと行き着いたんだと画面を見ているとわかる。自分探しっていうのがこの時代からいっときはやったけれども、それははやりでやっていようなもんでもないし、探しても見つかるようなもんじゃない。あえて言うなら、水平的な、「記事が出れば...本物」みたいな、評判だけ気にしながら探していても得られない。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/01/18/integrity_1/ この記事を読んで、”integrity”って英語に当たる言葉が日本語にないことを教えられて、「垂直性」って言葉にハッとして、その頃読んでた内村鑑三についての本にも、鑑三が、日本人は水平的なものに依拠しているが、私は垂直的なものにこそ拠るのだ、と言っていたことが書いてあってまたハッとして、それからintegrityや垂直性ってことを考え続けている。 さっきの会話の後には、沢田の、 「僕は、僕はどうなっちゃうんだろう」 自分は誰なんだ、僕はどうなってしまうんだ、って問いの先で、自分は生存したいんだって核の周りに、光として在る、私はかくありたいって思いに気づいた時、に、人は「きちんと」泣くことができるんだって思う。その時、どんな生き物も生存したいという意思を持っていることが「わかる」んだって思う。敵か味方かって思いを超えて死を悼むことができるんだって。 ラストシーン、妻夫木聡の泣き顔見ながら、沢田はきちんと泣くことができたのかな、って考えてた。事件で殺された自衛官の死を悼むことができたのかなって。 できたんだろうなって。

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