進学校の高校生って、よく「おどかしっこ」(©庄司薫)をやるよね。たとえば、「おい、知ってるか、数学で、どんな公理系をとっても、それは完全やないんやで」*とかいうやつ。文学方面なら、たとえば、「与謝野晶子って子どもにすごい名前つけたんやで、アウギュストとか、エレンヌとか」となる。こういうことは、あらゆる分野におよぶので、マンガでもやる。男の子の場合、少女マンガを使うのは通常の戦略だった。そして、「絶対安全剃刀」って不思議な題のマンガを知ったのは、こういう「おどかしっこ」の中だったと思う。浪人していた時だったか、大学の教養過程の頃だったか。「高野文子ってすごいんだぜ」って言われて、「だれや、それ」って返したのはたのは覚えているけど、誰に言われたかか忘れてしまった。
これは、漫画の歴史ってものがあるならば、その歴史に残るような作品だから、wikipediaにも独立のエントリーがある。引いてみてもらってもいいけど、あらすじまで書いてあるのでネタバレがきらいならやめといた方がいい。うちの本棚にも一冊あるよ。探すのがたいへんだと思うけど。でね、その本は別に今読めとは言わない。言いたいのは、そもそも現実の世界に絶対なんてものはないのかもしれないけど、ましてや、安全とか危険とかに絶対はない、っていう話だ。
だいだい、こういう言葉を作られるとよくわかるけど、「安全剃刀」とか「安全ピン」っていうのが面白い。「愛される共産党」とか「みなさまのNHK」とかと同じくらい面白い、ってつい言ってしまったけど、わかんないよね。スルーしていいよ。
話を戻して、これ、なぜ面白いかっていうと、剃刀は切ったり削いだりするもので、ピンは刺すものだから、安全じゃない、危険なものだ、ただそれに安全って言葉がつけれられるのは、工夫によって他の剃刀よりはヒゲをそるときに、肌を切ったりしなくなったり、他のピンより指を刺したりしにくくなっているからだよね。つまり、安全とか危険とかは相対的な、方向性の問題なんだね、他のものとくらべてより安全であるこという意味での安全、より安全を求めるという意味での安全。逆に危険というのも、他のものとくらべてより危険という意味での危険、あるいは危険であることを予測し、それに備えるという意味での危険、そういうものでしかない。
くどいようだけど、別の言葉でくりかえすと(こういうのを敷衍する、っていう)、安全とか危険っていうのは、存在するのではなく、可能性の問題だということだ。だからどんなものでも、安全でもあるし危険でもある、表裏一体なんだよ、そしてそこに絶対はない。
だからね、絶対安全ってのがウソくさいんだ、というより、絶対安全とか、全く安全とかいう言葉が出てきたら、それはもうウソそのものだと思っていい。ところが、原子力発電所については、この「絶対安全」っていうウソがこれまでまかり通っていて、これがウソだとばれると、今度はミリシーベルト)までは全く安全っていう別のウソをついている人たちがいる。それにそもそも、危険に備えて、安全を求めなくてはいけない時に、危険はないから、安全だから、危険に備えなくていい、っていうのはどういうことなんだろう。
この話は本筋からちょっとずれる、ほんとは、今度は元素の話をしたかった、それがこんな話になってしまったのは、この件が気になったからだ。
原発事故の現場はひどいことになっている。放射線が強すぎて、2時間そこにいると半分の人が死んじゃう、4時間そこにいるとみんな死んじゃうという場所があるらしい。そして、今回の事故を終息させるためには、誰かがそこで働かなくちゃいけない。ぼくらの体をめぐっている血液の中には、赤血球とか白血球っていう細胞があって、この働きで命が支えられているのだけれど、こういう放射線の強い場所にいると、すぐには死ななくても、いろんな血液の病気が起こってくる、白血病とか、再生不良性貧血だとか。で、こういう病気になった時、治療の手段として(正確に言うと、一連の治療手段の一つとして)大変有効なものが、自己血輸血っていうやつだ。その究極のやり方が、上のリンクにある自己造血幹細胞の移植だ。
これも繰り返しになるけど、今回の事故が起こって、放射線は安全だ安全だと言い回っている人たちがいる、そりゃそうかもしれない、今言ったように安全と危険は表裏一体なのだからね、でも、プロパガンダ(政治のためにする宣伝)として、安全を強調しなきゃなんないというのは、逆にいうとそれが危険なからなんだ。 だから、なんとか、少しでもそういうところで働く人たちを安全にするためにはあらゆる手段をつくさなくちゃならない。そのための手段の一つが、この自己造血幹細胞の保存なのだけれど、あきれたことに、これに反対する人たちがいるんだ。しかもその人たちは、ざっくり言うと、今回の事故にあたって、そういう現場で作業する人たちがあびていいとされる放射線の限度を引き上げた人たちなのだね。
その人たちは、安全だから限度を引き上げました、安全だから、そんなことしなくていいですよと言う、これがどんな風にまちがっているか、どういう意味で魔女のことばなのかは、もう分かるよね。ほんとは、みんなを少しでも安全にするために、しかたがないから、そういう場所ではたらくひとたちにいままでよりも大きな危険を冒してもらうことにしました、その人たちが安全に働けるようにするために、できる限りのことをします、って言うべきなんだ。
後で書くつもりだけど、僕らは原発で作られた電気を使うことで、すこしずつ、人間性を失っていたのだと思う。この造血幹細胞の保存だって、いい考えとは言えない。「これをやっとけば安全だから、受けておいといて下さい」なんてとても言えない、「あなたがそこでどうしても働かなくちゃならないのなら、危険をすこしでも安全にするために、受けておいて下さい」って泣きながら言わなくちゃいけないような事柄だ。ところが、何度も言うけど、ある人たちは、薄ら笑いをうかべながら「安全だから、そんなことしなくていいですよ」って言うんだ。
さっきからおんなじことばかり言ってる。このまま書き続けているとおかしくなってしまいそうだし、夜も明けてきたので、今日はここまで。