鳥を見に、というより、ほとんど犬の散歩のために野山北公園に行く。
このあたり、狭山湖周辺の丘陵は水源林であるために開発の手が入っていなくて、山野の鳥を見るにはいいところ。20年以上前から通っているが、この10年来、公園としての整備が進んで、東京都側では野山北公園、埼玉県側では、さいたま緑の森博物館というのができている。六道山公園というのは昔からあった。 野山北公園事務所からちょっと下ったところの駐車場、里の紅葉のベンチマークにしているイロハカエデの木がある。まだらに枯れたような感じで今年の紅葉はどうやら外れ。 丘陵の尾根道に上がる。
最近のデジカメはたいしたもので、きれいな紅葉はとてもきれいに、きれいでない紅葉でもそれなりにとれてしまう。写真といっていいのかどうか疑問だけど。
カラたちのツピツピよりもコゲラの声の方がよく聞こえる。スズメは見かけない。ヒヨドリの声も聞こえるが、ガビチョウの声が聞こえないのもふしぎなくらい。とはいってもガビチョウの地鳴きってどんなのか知らないのだった。どっちにしても歩き始めたのが11時過ぎだから、鳥が一番不活発な時間なのでしょうがない。
尾根道を少し歩いて、里山民家の方に下る。ここは公園として整備される前は、不法投棄されたゴミで谷戸がうまっていたところ。ゴミを片付けて、耕耘したら、土中にうもれていた種が芽を出して、里の田んぼの生態がだいぶ回復して来ているみたい。里山民家は名主格の農家を移築したか新築したかで蔵つきの立派な建物。ボランティアの事務所になっているプレハブも併設されていて、いろいろ面白いことをやっている。
ちょっとわかりにくいけど、いちばん左の茅葺屋根が里山民家
それはともかく、里山民家についたあたりで、ハシブトガラスの声がうるさい、なんかモビングをしているみたいだなと思ったら。オオタカが現れた。しばらくして、もう少し翼がとんがっていて、尾がもう少し長くて、飛翔の途中で時々羽ばたきをはさむ同じぐらいの大きさのワシタかも同じ空に現れる。ハヤブサじゃないか。そのうち同じ空にトビも出て来た。時間が悪くて、冬鳥は全然だったけど、ワシタカが3種も見れたので、まあよしとしよう。
この空にオオタカだのハヤブサだのトビだのが舞い飛んでいた
田んぼに水が張ってあった。二期作をやってるのかしらん。
もういちど尾根に上がって駐車場に戻る途中、キジの声は遠くで聞こえた。
印旛沼のあたりでも、このあたりでも、こういう丘陵地帯っていうのは、古くから人が住んで来た場所だったはずだ。印旛沼のあたりは低いところは湿りすぎていてなかなか耕作に向かず、このあたりの低いところはまた逆に水が得にくくて耕作にむかなかたけど、丘の谷間に水が湧き出る、谷戸と呼ばれるところがいちばん水田にしやすかったので、そういうところに古くから日本人が住んでいたのだと、何かで聞いたことがある。この辺ではどうだか知らないけど、印旛沼のあたりだと、谷戸でコメを作って、丘の上に畑を作って、かなり自給自足みたいな生活ができたんだと。ただ、時代がくだると、こういうところの田んぼは水温が低いせいで収量があがらず、放棄されたところも多かったのだと。それだけではないのだろうけど、高度成長期の後半にはここいらもゴミの山になっていたわけだ。
20年前くらいに、この辺にサイクリングに来た時。里のお寺で話をきいたことがある。その20年前の10年くらい前には鳥も姿がほとんど見えず、今日歩いたようなところもマムシが多くてとても立ち入ることができなかったけど、このごろ(というのが20年前)タカが戻ってきて、蛇が減って、だいぶ歩きやすくなってきたのだと。
まったくのウィルダネス(原生というか本来の意味での自然というか)というのはヒトが住みやすいところではないし、見捨てられてあれはてて生命の循環が保てないようなところにもヒトは住めない。適度にヒトの手が入って、維持されて、そこに、虫はもちろん、カエルやヘビも、スズメもタカもカラスも、タヌキやキツネも住んでいるっていうあたり、こういうところが人間にとっていちばん住みやすい場所だったはずだ。
前述のように、ここの埼玉県側は、さいたま緑の森博物館っていう。こういう場所での人間の営み自体が、今や博物館の陳列物になってしまっているわけだ。いやそれがいけないって思っているわけじゃない。こういう場所はもっとできなくちゃいけないし、こういう場所での暮らしをおもいだすことで、これから僕らがどう暮らしていくのか考えなくちゃいけない。
それにしても、都会暮らししたことのない僕でも(あるいは都会暮らししかしたことがないからかもしれないけど)、なんとも言えない郷愁を感じる。なんかジャニーズのアイドルグループがやっている番組のコーナーで、村暮らしをするようなのがあって、結構人気もあったようなのは、こういう郷愁に支えられているんだろうな。そういえば、あの村は福島原発の避難区域に入っていたんだ、と、鳥見の話のつもりがどうしてもそこに戻って行く。
次はなんとかまた、戻っていった方の話を書きたいと思います。