小松左京氏が亡くなった。
原発事故関連のことばかり書いていたけど、ちょっと一休み。今書いておかないと思い出す機会がないかもしれないから。
僕がSFを読み始めた頃、ってたぶん中学生くらいの時、1970年代の半ば頃だけど、日本のSF作家っていうと、小松左京、星新一、筒井康隆あたりが山脈にたとえれば主峰で、そのまわりに、光瀬龍とか眉村卓、とか平井和正とかがいた。SF作家だけでも高名な人は他にもたくさんいるけど、僕はその後どっちかっていうと海外SFばかり読んでたから、読まなかった人は省く。別格にSF的なものも含めて前衛小説を書く安倍公房っていう人がちょっと早くから活動を始めていて、小松左京も影響を受けたみたいなことを書いていた。SFの人じゃないけど、高橋和巳なんて人とも親交があったってことを、今回の訃報に接して始めて知ったんだけど、とにかく、この頃この国の文学界は今よりずっと活気があったような気がするのは気のせいかなあ。まあ文学界に限ったことじゃないけど。その頃、その主峰3人の中でも、星新一の書くものはまあ、とんちみたいなもので軽く(この人の作品だと、僕はショートショートよりも「人民は弱し官吏は強し」っていうのが一番好きだ、伝記だけど、官僚批判の元祖みたいなもんです)、筒井康隆のは疾走感っていうか狂ったような味わいがあったけど、小松左京の書くSFはアイデアが分厚くて読み応えがあった。
デビュー作の「日本アパッチ族」についてはいずれ書くかもしれない。どうも理に落ちているような「日本沈没」なんかよりずっといいし、Aちゃん、あなたたちもこの本はそのうち読むべきだ。くず鉄を食べて、純粋な鉄をひり出すアパッチ族っていうのはこの人の創作だけど、終戦後すぐの大阪には実際に「アパッチ」と呼ばれた人たちがいたらしい。そのことは、もっと事実に近い形で他の作家、開高健とか(最近だと梁石日とか)も書いているけど、実はその時代の雰囲気をまるごと伝えているのは小松左京なんじゃないかって、中学の時の先生が言っていたのを覚えてる。
それはともかく、この人の作品は(「日本アパッチ族」以外は)短編がいい。その中でも僕がいちばん好きなのは「お茶漬けの味」。SFには、人類ほとんど絶滅後の世界にちょっとだけ生き残った人たちを描くっていう伝統的なジャンルがあって、この生き残り方にもいろいろあるけど、亜光速宇宙船で宇宙探査にでかけている間に人類はほとんど絶滅してましたっていうのがこの作品(「猿の惑星」が同じパターンだね、最近のアニメだと「エウレカセブン」もちょっと似た状況か)。ほとんど、絶滅していた理由っていうのが、この当事としてはたいへんユニークだったんだけど、もっとユニークなのは、主人公の少年っていうのが、宇宙探査船でコックをしていて、地球にもどってから、お茶漬けを食べることを夢見て、たいそう苦労しながら、米を作り、米から糠を作り、茄子を育て、茶の木を植える。とことん食べものにこだわる話だってこと。
食べ物にこだわるなんてみっともない、それもお茶漬けなんて、って思うかい。思わないでいてくれるとうれしいんだけど。このお話は文化っていうことについて語ってる。文化っていうのはね、何を食べるか、何を着るか、どんな家に住むか、どんな風に暮らすかっていうことなんだよ。それもね、食べるってことにしても、高級なレストランで何を食べるかっていうことじゃなく、ぼくらが、ふだん自分の身の回りで何を作り、どんなふうに調理して、どんなふうに食べるかっていうことが大事だってことを教えてくれている。
3月11日の後、ぼくらは便利で快適なくらしを求めて、原発みたいな「巨大技術」を追い求めるべきなんだろうか。それとも一人一人がそれぞれに必要なものを作り、そういう暮らしを少し便利にする「中間技術/適正技術」を求めるべきなんだろうか、ってずっと考えている。小松左京って人は、巨大技術の極北みたいな宇宙開発について、それを促進する活動をずっとやっていたけど、一方で若い頃にこんな作品も書いてたんだね。亡くなる前に、この原発事故の後、この人が巨大技術に関してどういうことを言うか聞いてみたかった、って結局原発事故の話になってしまった。