高木仁三郎という人
この本の著者は高木仁三郎、反原発で有名な人だ。もう亡くなった人だから、だったと言うべきなのかもしれない。反原発の立場に立つ人にもいろいろあって、広瀬隆なんて人はたいへん印象深いことも言うが、トンデモに近い発言も混じってるのに対して、この先生は、地味だけれどまともなことしか言わなかった。原発推進の立場の人の中にも、この人のいうことであれば耳を傾けるという人が少なからずいたらしい。で、この人、原発の危険性を警告するような本ももちろんたくさん書いているけど、ただの科学啓蒙書も何冊か書いていて(亡くなる前には小説も書いていらっしゃる)これは、その科学啓蒙書の方だ。こんな時になぜ、原発の本じゃなくて、科学(化学)の本をすすめるのか、って思うかもしれないけど、Aちゃん、こういう時だからこそ、こういう本を読んで知識を得てほしい。正しく怖がるためには、知恵だけじゃなくて知識が必要だからだ。
正しく怖がるのはむずかしい
正しく怖がるっていうのは、ほんとに難しい。だって、怖がってる時点で人間冷静じゃいられないんだけど、正しく怖がるためには冷静でいなくちゃならない。まあ、冷静であろうがなかろうが、正しく怖がろうが、正しくなく怖がろうが、あんまり結果は変わらなかったりするようなこともある。たとえば、山の中で熊に出会ったら、逃げるか、かくれるか、どうしようもなければ闘うしかないし、その結果は君が何を選択したかよりは、熊のおなかがすいていたかとか、どんな気分だったか、いやそもそも出会った熊がどんな熊だったかの方によるだろう。ジャングルで毒蛇にかまれたら、ってのもあるけどあんまり面白い話にはなりそうにない。それはさておき。毒蛇にかまれた時はもちろん、熊におそわれそうになった時だって、冷静であるに越したことはないけど、状況自体は難しくはあっても、怖がる事自体はそれほどむずかしくはない(たぶん)。正しく怖がることがむずかしいって最初に言ったのは寺田寅彦*1って人で、これは浅間山の噴火について言ったものだから、自然災害とかを怖がることが難しいという意味だったんだけど。現代の生活では、もっと正しく怖がることが難しいものが、それも一つではなくたくさんある。たとえば目に見えない化学物質もあれば、オゾンホールの問題とか、地球温暖化の原因になる温室効果ガスとか、感染性大腸菌とかプリオンとかだけど、やっぱり一番難しいものは、今回の原発事故で問題になっている、放射線と放射性物質だろう。
放射線・放射性物質を正しく怖がるのは本当に難しい
まず放射線自体が一つのものではなく、いろいろある。通常の放射性物質から出るのは、α、β、γ線の3種類だけど、核反応が起きている時には、中性子線なんてやっかいなものも出る。オゾンホールから地表に達する宇宙線の中には、もっといろんなやつがある。これらは、それぞれ性質が違い、たとえば、この後で書く遮蔽のしかたがそれぞれ違ってたりする。ちなみに中性子線はほとんど遮蔽できまへん。それでも、放射性物質が体の外にある場合には、放射線の量をはかり、それが人体に及ぼす影響を見積もることはそれほど難しくはない、その放射線が人体にあたえる影響を量る単位が最近ミミタコなシーベルトってやつだね。そんでもって、放射線を出すもの(線源っていう)が体の外にある時、それから身をまもるためのために大事なことは3つしかない。放射線防護の三原則、距離、時間、遮蔽っていう。距離というのは、線源からできるだけ離れるということ、時間というのは、線源の影響下にある時間を短くするということ、遮蔽というのは、線源と人体の間に、放射線を遮るものを置くということだ。これは違うことを言う人もあるだろうと思うけど、僕がこの原則を教わった時は、この3つの原則には優先順位があって、距離>時間>遮蔽 の順番に大事だと言われた。とにかく線源から離れられれば、離れるにこしたことはない、それでも近づかなきゃならない時はできるだけ時間を短くする、それでも被ばくしそうな時は、いろんなもので遮蔽することを考えるってことだ。ここまでの話、線源/放射性物質が体の外にあってそこから出る放射線の影響を受けることを外部被ばくっていう。ここまででも十分難しいと思うかもしれないけど、放射線物質がもっとやっかいなのは内部被曝、放射性物質が体の中に入る場合だ。なんせ、体の中に入ってしまった場合は、放射線防護の3原則が全部効かない、体の中に線源があるんだから、距離のとりようがないし、時間を短くしようったってできやしない、崩壊して(ということは放射線を出して)安定した元素になるか、体の中から(排泄物とか、汗とか、老廃物とかで)勝手に出てってくれるのを待つしかないわけだ。それでも、この部分はやっかいではあっても難しくはない、熊に襲われたら、とか蛇にかまれたらというのとある意味同じで、体の中に入ってしまったら、怖がっても、怖がらなくても結果は同じだ。ただ、放射性物質が蛇や熊と違うのは、蛇や熊は目に見えるけど、放射性物質は多くの場合、目に見えないというところだ。しかも、放射性物質は種類が多く、しかも、それぞれの種類が、どういう種類の放射線を出すか、化学的な性質はどうか、それによって体内に入った時にどういうふるまいをするか、そこまで分からないと、体内に入った放射性物質の量が分かっていても、危険の度合いをみつもることができないわけだ。体内に入る前の段階でも、環境中に放出された放射性物質がどういうふるまいをするか、たとえば、どういう食品の中に入りやすいか。土壌の中に入りやすいか、空気中に拡散しやすいか、地下水の中に入りやすいかとか、あるいはたとえば土壌とか水の中にとかに入った放射性物質をどんなふうにすれば除去できるのかなどを考えるにも、それぞれの物質の化学的性質が出発点になる。そういう話については、今でも分からないことも多い、専門家(反専門家っていうか反キリストっていうか偽預言者っていうか御用学者みたいな人も多いわけだが)があーでもないこーでもないって言ってるこくらいだから、分からなくて当たり前なんだけど、しっかり勉強しておけば、どこまでが分かっていて、どこから先が分かりそうにないのかはなんとなく見当がつくようになるし、そうすると、御用学者とかの言葉にもだまされにくくなることはできる。つまり、繰り返しになるけれど、だまされないようにするためには、だまされないようにしようと思うだけではだめで、きちんと学ぶことが必要だということだ。孔子様がそう言ってる*2。
元素のことを書いた本もいろいろあるけど
この本はとてもいい本だ、Aちゃんが、化学を学ぶとっかかりにもいい本だけど、僕もこんどこの本を読んでみていろいろ分かったことがある。たとえば、アクチノイドとかランタノイドなんていう一群の元素が周期律表のあんなところに押し込まれている理由が(たぶん高校や大学の時にちょっと勉強してれば、いまさら気付くことでもないので恥ずかしいけど)やっと分かったし、放射能といい、放射性物質と言われるものが特別なものではないんだということにもあらためて、今更ながらなっとくした。知識についての本であればどんな分野のものでもいい本っていうのには共通の特徴が一つある。それは当たり前だけど、本を書いた人が、その本が対象としている事物をよくわかっているってことだ。この本のところどころに、この先生がやっていた実験の話が出て来る、で、その実験の雰囲気がリアルに伝わってくることに何度か驚いた。これってね、ほんとに大事なことなんだよ。科学や技術の分野では文字では伝えられない知っていうのがあって、それはある discipline*3 の中で実際に手を動かさねば会得できないものなんだけど、そういうものがあるっていう雰囲気だけでも文字で伝わるっていうのはほんとにすごいことだと思う。この本を読んだ高校生がその後地球科学の分野に進んで、ある発見をしたっていう話がかいてあるのにもびっくりしたけど、この本ならそういうことはあるんだろうな。その他にも、この本を読んであらためて「普遍と個物」なんてことについて考えたりした。というか、学問の中で数学とか物理が普遍寄りで、それと個物をつなぐ最初の discipline が化学なんだなってこと。中世のあまり実りのない普遍論争から、現代の知はこういうところまできたんだなあ、と思った。人の知はやっぱり進歩してる、天安門事件とか、最近の原発事故がらみの政治家の対応とか見てると、道徳はあんまり進歩してないんじゃないかとも思うけどね。
ヒ素と水銀とカドミウム
この本は、まずは勉強のために読んでほしいし、次にはたとえば放射性物質とか(放射性同位元素とか放射能といってもほぼ同じ意味だ)とか原発とかを正しく怖がるために、というより、正しく怖がれるようになるための第一歩として読んでほしいんだけど。もう一つ、注意して読んでほしいことろがある、それは具体的には、ヒ素と水銀とカドミウムのところ、科学や技術が、産業や政治を通じて、どんなふうにに世の中とかかわっていくかということのとっかかりの話だ。このことについてはまた後で書くよ。
*1 寺田寅彦っていう人がどういう人かっていうのはぐぐれば分かるけど、要は、明治時代の東大の物理の先生で、科学者であるのと同時に、夏目漱石の一番弟子で随筆家としても有名ということ。「天災は忘れたころにやってくる」ってのもこの人の言葉ということになってるけど、正確な文言としてそう言ったわけじゃないってのは、この寺田寅彦の弟子で中谷宇吉郎って人がどっかに書いてる。この人の随筆はありがたいことに、青空文庫でだいたい読める。この言葉以外に特段のことが書いてあるわけではないので別に読まなくてもいいけど、さがして読みたいいなら原文はこことここにある。
*3 disciplineっていうのは日本語にするのがちょっと難しい。「学問」とか「規律」とかいうふうに訳されるんだけど、僕の語感では、「ある分野の学問の中にある体系だった方法全体とそれを身につけるための訓練法」みたいな感じ。昔読んだこの本にかいてあった気がする。