2011年3月21日月曜日

夜半の嵐

最初のゆれが来たとき、僕はソファーで居眠りをしていた。1メートルほど前方の机の下にもぐりこもうかと考えたけど、机の上の棚が倒れてきたらそれにぶつかることになるのでやめた。強いゆれが長く続くので、どこか遠くでとても大きな地震があったのだなとわかった。目をとじたまま、ぼんやりしたままで。

ゆれがおさまってから目をあけた。その時、子供の頃じいさんが、こんな歌を教えてくれたのを思い出したんだ。

明日ありとおもう心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

意味はね、だいたい、明日やれることを今日するな、じゃなくて、今日やれることは今日しなさい、Never put off till tomorrow what you can do today. ってのとほぼ同じ。きれいな桜がさいているけど、今日はめんどくさいから、明日見ようなんて思ってると、夜中に嵐がきて全部散っちゃうかもしれないよ。今日やれることは今日しなさい。今日楽しめることは今日楽しみなさい、人間いつ死んじゃうかもわからないんだから、目の前にあることを精一杯やりなさい、っていうこと。

今調べたら、親鸞上人9歳のみぎりの歌だそうだ。じいさんは日蓮宗に改宗したけど家代々の宗門は浄土真宗だったみたいだから、じいさんもじいさんのじいさんから口づてだったのかもしれない。

僕はじいさんやかあさんから、いろんな言葉をくちづてに聞いた、でもAちゃん、きみにはあんまり話してこなかったね、もうしわけない、慚愧の念にたえないってやつだ。こんなことを思ったときにはきみは遠くにいるし、今はこんな状況だから、それでこんなものを書くことにしたんだ。