2012年1月12日木曜日

殺す側と殺される側

「殺す側」なんて言葉を見て、ぎょっとしたかい。僕らの世代以上だと、この言葉を見ると、本多勝一って人のことを思い出す。今や、そんな人もいたのか、程度だけど(この人が嫌いな人っていうのはいっぱいいて、そういう人にとっては、未だにこの名前は呪詛の対象、っていうと言い過ぎ かもしれないけど、まあ、この人にだまされたとして恨んでいる人もいっぱいいるみたいだ)、30年くらい前はいやどうして、たいしたもんだった。で、最近、某所で、

まあ、東電も大きな意味で被害者なんだろうけどね

という言葉に対して、

いや、やっぱり東電は「殺す側」でしょう

と返したら、まあいろいろあって、民主主義云々の話になって、僕が

これは、民主主義を理念としてとらえているからではなくて、単に、民主主義の理念を誤ってとらえているからでしょう。

とやったら、

というようなKARAさんの言葉は、まさに「正義と邪悪」を選別する言葉ですね。こういう思考をしているから、「殺す側」という色分けが簡単にできるのでしょうね。

 

「理念を誤って捉え」っていうのは、あくまでKARAさんの認識であって、それは人によって違うでしょう。「人によって違うこと」は、議論や学問の対象にはなっても、人々の共通の財産にはならないのです。人と人が共有化し共通の財産となるものは、「制度」であり「手続き」である、というのが私の言いたいことです。

とやられてしまった。

まあ、「民主主義の理念をあやまってとらえている」程度で、しかも、議論の相手の民主主義の理念のとらえかたが間違っているといって非難したわけでもなく—そもそもその人は「民主主義は理念ではなく、制度である、あるいは、民主主義の理念なんてのはひとそれぞれいろいろあるんだから、そんなことを問題にすべきではなく、ただ制度としての民主主義に従うことで世の中うまくいくんだ」と主張しているわけだから、とりあえず正しいも間違ってるもないわけだ、ただ、それがやはりある種の理念に基づいたものの見方なんじゃないかってことは後述—「正義と邪悪」なんてことを言われたのにはちょっと参ってしまったし、理念というのは認識の枠組みなんだから、共通の理念っていうのがなければ、そもそも「正しい」とか「間違ってる」っていうこと自体できなくなんんじゃないかとも思った。で、そういうことを頭の隅におきつつ、ちょっと返信を返したんだけど、この後議論は完全にすれちがってしまうんだよね。そのすれちがった議論もどうでもいいわけではないけれど、そういう議論は往々にしてすれちがったままだから、とりあえずその同じ場で言い返すのはやめにした。で、そのすれちがった議論はともかくとして、ここまでで、「民主主義の理念」はどういうものか、っていう以上に大事な問題が現れている。 それは、「文化とはどういうものか」、とか、「なぜ、正しいことはいくつもあるのか」、だ。 民主主義も大事ではあるけれど、この後の方の問題は、3.11の後(9.11の後かもしれない)の社会のありかたにとって、時宜を得た話題だし、ぐるっと回って、本多勝一がなぜ、「殺す側」なんてどきっとするような言葉を使ったのかとか、こういう言葉を使わなければはっきり見えてこない、日本の社会の性質ともかかわってくる。

ちなみに、殺す側の論理、っていうのと殺される側の論理っていう本があって、僕が若かった頃は朝日文庫っていうのにはいっててて、どこの本屋でも手に入ったけど、今はふつーの(新本をあつかう)本屋にはないみたい。青空文庫で読めるほど古くはないので、読みたかったら図書館でさがしてみよう。ひょっとしたらうちにもあるかもしれないけど、うちで探すより図書館で探す方が早いかも(とほほ)。

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この項続く。それにしても表紙からしてギョッとするね。

2011年12月23日金曜日

菅生沼

次も戻って行った方の話が書けなかったので、恥ずかしくて公開してなかったんだけど、年末に鳥見に行った時のことは書き置いていたので、次のと一緒に公開。

寒いので、もう日ものぼりきってから家を出る。菅生沼の天神山公園へ、橋の手前の駐車場に車を停めて行く。いや、数えるのもめんどくさくなるくらいのコハクチョウがいました、いや、ほんとに数えなかったんだけど、後で思い出すと200羽くらいはいただろうか。その倍以上オナガガモがいて、マガモとコガモが少し。遠くにアオサギ。

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関東平野に、白鳥が飛来するところは他にもあって、2006年のお正月には、23区内の善福寺公園に来て、NHKニュースにもとりあげられていて、人だかりしていた。その時は白鳥の数より人間の数の方が100倍くらい多かったが、ここでは人間より白鳥の方が100倍くらい多い。それはともかく、この鳥の野生の姿が観察できるのは、関東ではここぐらいだろう。

下の写真では、左手前と奥に、羽根が灰色で、くちばしの根元がピンクがかったのがいるが、これが、みにくいあひるの子、今年生まれた幼鳥というか若鳥だ。頭から首がうすよごれている鳥も多いが、これは沼の底の泥の中をあさっているせいで、十分に餌付けされているところだと、白鳥の首はきれいなものだ。こんな写真がコンデジの広角標準ズームレンズでとれちゃう。

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じっとしてると寒いし、犬の散歩もかねているので土手の上を歩き始める。雲間から差す光(Jacob's ladderとか大島弓子風にはレンブラント光線)がきれい。

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目に映った景色を焼き付けようとシャッターを切ったが、うまくいかない。この道はいばらぎヘルスロード103 菅生沼遊歩道というらしい。 歩いている間、ずっとチュウヒが遊弋しているのが見える。ホシハジロの小さな群れの上をしばらく旋回してが、あのくらいの水鳥を襲うこともあるのだろうか。 あし原からチョウゲンボウが風にあおわれるように飛び立つ。

橋のたもとから、工事用の仮道ができていて、遊歩道を延伸するための工事をしているみたい。橋のたもとに、このあたりで観察会などをもよおしているグループがニューズレターを入れている箱がある。中に一部しか残っていなかったのでとらなかったが、それによると、今年はオオハクチョウも来たり、フクロウがいたりしたみたいだ。橋のところから、北の方をながめると、雪化粧の山が遠くに見える。日光の男体山だろうか。 沼を向こう側にわたって歩く。時々、やはりチュウヒが現れては、見えなくなる。ツグミを見かける。シロハラの声がする。カワラヒワ、モズ、ジョウビタキも姿は見られなかったけど声が聞こえた。時間が悪かったせいか、カラの群れも見れなかったけど、シジュウカラ、コガラの声は聞こえたような。カシラダカの群れがいる。ふつーの冬鳥だが、見たのはほんとに久しぶりだ。

遊歩道は、途中で堤がくずれて陥没してるところが通行止めになっている。写真のずっと奥の方で土手が崩れているのだ。こんなところにも震災の爪痕が残っていた。

2011年11月23日水曜日

野山北公園

鳥を見に、というより、ほとんど犬の散歩のために野山北公園に行く。

このあたり、狭山湖周辺の丘陵は水源林であるために開発の手が入っていなくて、山野の鳥を見るにはいいところ。20年以上前から通っているが、この10年来、公園としての整備が進んで、東京都側では野山北公園、埼玉県側では、さいたま緑の森博物館というのができている。六道山公園というのは昔からあった。 野山北公園事務所からちょっと下ったところの駐車場、里の紅葉のベンチマークにしているイロハカエデの木がある。まだらに枯れたような感じで今年の紅葉はどうやら外れ。 丘陵の尾根道に上がる。

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最近のデジカメはたいしたもので、きれいな紅葉はとてもきれいに、きれいでない紅葉でもそれなりにとれてしまう。写真といっていいのかどうか疑問だけど。


カラたちのツピツピよりもコゲラの声の方がよく聞こえる。スズメは見かけない。ヒヨドリの声も聞こえるが、ガビチョウの声が聞こえないのもふしぎなくらい。とはいってもガビチョウの地鳴きってどんなのか知らないのだった。どっちにしても歩き始めたのが11時過ぎだから、鳥が一番不活発な時間なのでしょうがない。

尾根道を少し歩いて、里山民家の方に下る。ここは公園として整備される前は、不法投棄されたゴミで谷戸がうまっていたところ。ゴミを片付けて、耕耘したら、土中にうもれていた種が芽を出して、里の田んぼの生態がだいぶ回復して来ているみたい。里山民家は名主格の農家を移築したか新築したかで蔵つきの立派な建物。ボランティアの事務所になっているプレハブも併設されていて、いろいろ面白いことをやっている。

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ちょっとわかりにくいけど、いちばん左の茅葺屋根が里山民家



それはともかく、里山民家についたあたりで、ハシブトガラスの声がうるさい、なんかモビングをしているみたいだなと思ったら。オオタカが現れた。しばらくして、もう少し翼がとんがっていて、尾がもう少し長くて、飛翔の途中で時々羽ばたきをはさむ同じぐらいの大きさのワシタかも同じ空に現れる。ハヤブサじゃないか。そのうち同じ空にトビも出て来た。時間が悪くて、冬鳥は全然だったけど、ワシタカが3種も見れたので、まあよしとしよう。

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この空にオオタカだのハヤブサだのトビだのが舞い飛んでいた

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田んぼに水が張ってあった。二期作をやってるのかしらん。

もういちど尾根に上がって駐車場に戻る途中、キジの声は遠くで聞こえた。

印旛沼のあたりでも、このあたりでも、こういう丘陵地帯っていうのは、古くから人が住んで来た場所だったはずだ。印旛沼のあたりは低いところは湿りすぎていてなかなか耕作に向かず、このあたりの低いところはまた逆に水が得にくくて耕作にむかなかたけど、丘の谷間に水が湧き出る、谷戸と呼ばれるところがいちばん水田にしやすかったので、そういうところに古くから日本人が住んでいたのだと、何かで聞いたことがある。この辺ではどうだか知らないけど、印旛沼のあたりだと、谷戸でコメを作って、丘の上に畑を作って、かなり自給自足みたいな生活ができたんだと。ただ、時代がくだると、こういうところの田んぼは水温が低いせいで収量があがらず、放棄されたところも多かったのだと。それだけではないのだろうけど、高度成長期の後半にはここいらもゴミの山になっていたわけだ。

20年前くらいに、この辺にサイクリングに来た時。里のお寺で話をきいたことがある。その20年前の10年くらい前には鳥も姿がほとんど見えず、今日歩いたようなところもマムシが多くてとても立ち入ることができなかったけど、このごろ(というのが20年前)タカが戻ってきて、蛇が減って、だいぶ歩きやすくなってきたのだと。

まったくのウィルダネス(原生というか本来の意味での自然というか)というのはヒトが住みやすいところではないし、見捨てられてあれはてて生命の循環が保てないようなところにもヒトは住めない。適度にヒトの手が入って、維持されて、そこに、虫はもちろん、カエルやヘビも、スズメもタカもカラスも、タヌキやキツネも住んでいるっていうあたり、こういうところが人間にとっていちばん住みやすい場所だったはずだ。

前述のように、ここの埼玉県側は、さいたま緑の森博物館っていう。こういう場所での人間の営み自体が、今や博物館の陳列物になってしまっているわけだ。いやそれがいけないって思っているわけじゃない。こういう場所はもっとできなくちゃいけないし、こういう場所での暮らしをおもいだすことで、これから僕らがどう暮らしていくのか考えなくちゃいけない。

それにしても、都会暮らししたことのない僕でも(あるいは都会暮らししかしたことがないからかもしれないけど)、なんとも言えない郷愁を感じる。なんかジャニーズのアイドルグループがやっている番組のコーナーで、村暮らしをするようなのがあって、結構人気もあったようなのは、こういう郷愁に支えられているんだろうな。そういえば、あの村は福島原発の避難区域に入っていたんだ、と、鳥見の話のつもりがどうしてもそこに戻って行く。

次はなんとかまた、戻っていった方の話を書きたいと思います。

2011年11月14日月曜日

甚兵衛渡し

3.11の震災/原発事故思うことや、考えをまとめておきたいことは多々あるのだけれど、あまりあせっても書けなくなるので、ぼちぼちやっていくことにして、今日は全然違う話題。 久しぶりに北印旛沼に鳥を見に行ったので、その記録。とはいえ、フィールドスコープは持たず、図鑑も忘れるという体たらく。 15、6年前頃、今回の目的地よりはだいぶ南西の方になるが、佐倉の手前の四街道というところに住んでいたので、この辺りにはおりふし鳥を見に来ていた。北総丘陵地帯でも奥の方で、今住んでいるところからは遠いので、当時以来、本当にひさしぶりだ。 通って居た頃は、何もないところだったので、東関道のインターをおりて、にぎやかなところのコンビニでおにぎりとお茶を買って行く。 このあたりの道は、坂をのぼると視界がせまくなり、おりて行くと視界が開けて水田が広がる。干拓される前は水田の多くも沼か湿地だったんだろうが、いずれにしろ、こういう風景は、海岸の風景、山間いの風景とならんで、日本の原風景の一つだと、誰かが言っているかもしれないけど、あまり聞かないので自分で時々言っている。 北印旛沼に鳥を見に来る時は、いつもここにくる。義民惣五郎の悲話に出てくる、甚兵衛渡しのあたり。かつて渡し場があったあたりに見事な一群の松(水神の森とか甚兵衛の森というらしい)があって、小さな公園になっている。以前もそうだったが、今回もここに車をとめる。 昔はみかけなかった高架橋が、印旛沼方面の視界をさえぎっている。どうも鉄道らしい。 P20111113 1 公園の道をはさんで向かい側にもコンビニができていて、イオンモールまで何キロとかの看板もあって、だいぶ様変わりしている。 水辺というか甚兵衛大橋の方に向かう道も、細い道なのに交通量が多く、これも様変わり。水辺までは500 m強あって、歩きにくそうだと心配したが、車道の脇に、歩道というのではないが、歩けるところが続いていた。 DSCN0607 高架橋は、成田新高速鉄道というらしい。 水辺に出るまでに、スズメ、ハシブトガラス、ハシブトガラスにはご対面したり、声を聞いたりしていたが、水辺についたとたんにモズの高鳴きが聞こえてくる。電線の上だった。あたりを見渡すと、ダイサギ、コサギ、アオサギ、マガモ、カルガモなど。遠くにトンビが飛んでいる。カイツブリを見つけるより先にカンムリカイツブリが目にとびこんできた。マガモはかなり神経質で、近づくと逃げたり隠れたりするが、カンムリカイツブリの方はそういう様子もなかった。ホオジロが巣を守っているような様子でさえずっている。今年は異様に暖かかったというか、暑かったから、まだ巣をかけているんだろうか。 カワラヒワがキリコロいいながら空を飛んでいく。カワセミもじっくりはみれなかったけど、青い閃光として何度かみかけた。 土手の上を歩いていると、行く手にワシタカの姿が、チュウヒだった。しばらく見ていると、少なくとも2個体はいるみたい。 ヨシ原の中に、オオジュリンみたいなのが見えたような気がしたけど確認できなかった。ハクセキレイが飛んでいるのでもひさしぶりに見るので楽しい。 晴れていて、気温も湿度も高く、暖かいというより、ちゃんと秋の恰好をしているとちょっと暑いくらいだろうけど、刷毛でかいたような雲も出ていてすっかり秋の空。満足して車に戻る。 車を出して、甚兵衛大橋を渡り、成田線の方へ。小林のあたり、から木下へ向かう。途中、以前見たおぼえのない大きな集合住宅をいくつも見かける。 DSCN0618 木下の駅、昔の木造駅舎は建てかわっていたが。駅前のせんべい屋さんはそのままだった。 DSCN0619 30年前、僕が東京に出てきた頃には、まだ、野菜の行商をする女性を見かけることがあった。その後、花森安治の「千葉のおばさん」という文章(「一戔五厘の旗」所収)を読んで、その女性たちから、主に、このあたりから東京に出てくるのだと知った。というより、その文章はとうに読んでいたのだけど、頭の中でぜんぜん像を結んでいなかったのが、多少ともこのあたりの風土とのかかわりが出てきて、そんな文があったことを思い出して、読み直してみたのだと思う。 そっけなく置いてある、せんべい(醤油味の一種類だけ)を買い求めながらそんなことを思い出していた。 家に帰って、福島から飛んできた放射性物質もほんのちょっとだけ入っているお茶を入れて、せんべいを食べながら、この文章を書いている。で、つらつらまとまらないことを考えているのだけど、 もう、あのあたりから、東京へ野菜の行商に行く女性なんていないだろう。別に始まったのも関東大震災の直後だというし、昭和が終わる頃には、もうおわっていただろうからたかだか5,6十年の歴史だ。 野菜の行商自体は、たいへんな重労働だし、貧富の差を前提としているところもあって、なくなって良かったし、なくなるべきものだったんだろうとは思うのだけれど、その背景あったくらしのかたちはどんなものだったんだろうか、ってことが気になっている。 結局実現しなかった新幹線にかわって、成田空港と東京を結ぶきれいな鉄道ができた。便利になるのはいいことなんだけど、一言で言うと、便利になるのと一緒に、世界がどんどん平らになっていくような気がするんだね、通過するだけの場所になるような。 うまく言えない、とりあえず今夜はここまで。

2011年10月3日月曜日

「公害」について

情けないことに、9月は一回も更新できなかった。この前更新したのは8月の初めだから2ヵ月もほおっておいたことになる。この「公害」については、僕がほんの小学生くらいだった時からずっといろいろ考えていることで、それでもなかなかまとまらないんだけど、まとまるのはいつになるかわかんないんで、とりあず上げることにした。

一枚の写真

Aちゃん、”Tomoko in her bath" (W. Eugene Smith1971)、って写真を見たことがあるかい。胎児性水俣病の女の子とその子のお母さんが入浴しているところの写真。一時、中学校とかの社会の教科書には必ずといっていいほどのっていたから、ある世代の人の目には必ずふれていたといってもいいくらい。でも2000年頃に、写っていたご本人たちからの申し出により、著作権を管理していたアイリーン・スミス*って人が、新たな出版物に使われることを差し止めたので、なかなか見る事ができなくなってる。とても残念だ。すばらしい写真だからね。

絵画って、目に映らないものを、見せてくれることがあるだろう。写真は、そこにあるものをただ写しているだけだから、そんなことないって思うかもしれないけど、その写真なんかを見ればそれはちがうってことがわかる。たとえその場面を生で目にしても僕らみたいなぼんくらにはわからないようなことが、そこには写っているよ。もちろんまず何が見えるかは、人によってちがうだろう。病気の悲惨さとか、むごさをまずまず感じる人もいるだろうし、暴力っていうものを見る人もいるだろうし、もちろん愛情ということを見る人もいるだろう。僕の目にもそういうものは映るけど(ほんとに映ってるんだろうかって思うこともあるけど)、この写真をみて、いちばん感じるのは、人を人たらしめるものは何かってことだ。君が僕を人たらしめている、僕が君を人たらしめている。人っていうのはね、動物とちがって、人と人との関係によって成り立っている。母と子の関係、写真を写す人と写される人の関係、その写真を見るぼくらとの関係、その他もろもろ。ちょっと話を広げすぎかもしれないけど、人っていうのはそういう、関係の網の目が作る社会によって存在しているんだ。だからね、ぼくらは、フクシマのことも、というより、福島にいる人たちのことを考えなくちゃいけないし、ミナマタのことを考えなくちゃいけない。突然で、文脈から離れてて、何のことだか分からないかもしれないけど、一万年くらい前にその辺で貝を掘ってた人たちのことも考えなくちゃいけないのかもしれない。国家なんてことについても考えなくちゃいけないのかもしれない、時にはだけど。

棄民

なぜだか、今度のことがあってから論語のことばをいろいろ思い出すんだけど、いわゆる「公害」のことを考えてると、教えざる民を以て戦う、之を棄つと謂う(子路第十三の30)、なんてのが頭に浮かんでくる。「棄民」っていうのの元になった文章だね。前段は、おしえざるのたみをひきいてたたかう、って読みもあって、いずれにしても戦争のことだから、若干状況はちがうにせよ、国民にその戦う相手のこと(放射能汚染)のことをろくにおしえもせず、しかも戦わなくていいなんてことまでいうわけだから、棄てていることに違いない。思えば、明治以来この国はずっとそうだったわけで、民は、谷中村で棄てられ、土呂久で棄てられ、インパールで棄てられ、沖縄で棄てられ、満州や樺太で棄てられ、水俣で棄てられ、神通川や阿賀野川で棄てられ(ほかにもあと6つくらいはすぐに思いつく、きちんと考えればもっともっとたくさんあるだろう)、ずっと棄てられ続けてきて、今でも棄てられていて、原発事故のことでも、今後何十年か、百年か棄てられ続けるわけだ。

棄てるなんてけしからん、とそういうことを言いたいんじゃない。僕も棄てられる側にいるのと同時に、棄てる側にいるのかもしれないからだ。だいぶ前のことになるけど、エイズ事件が話題になっていた頃、菅直人が厚生大臣だった頃だったか、ある人と水俣の話をしていた。水俣の時も厚生省(いまの厚生労働省)は所謂御用学者を作って、隠蔽に回った、チッソが排出している有機水銀が原因だということを示す報告をにぎりつぶしだんだね。今も昔もかわらない、ひどいですね、ってある人に言ったら、その人に、でも水俣の時はしょうがなかったんじゃないか、企業を守ることで、日本の経済は成長して、それでみんなが豊かになり、幸福になったんだし、とか言われた。で、その時はそれに反発してもいたんだけど、心の中で、そうなのか、しょうがないのか、と納得する部分があって、今回の原発事故が起こるまで、そういう気持ちがだんだん大きくなっていたんだ。 今になって考えてみると、それは全然納得なんかしちゃいけないことだったんだ。経済の成長と、そういう隠蔽工作とかはたぶんぜんぜん関係ない。基本的な対立軸はそんなところにはなくって、僕らが生きていくのにどんな技術を追い求めていくのか、原発や宇宙開発に代表されるようないわゆる「巨大技術」なのか、「中間技術/適正技術」なのかっていう問題で、前者を選んだとしても、企業は統治されなくちゃならないし、民主主義の社会なんだから情報は公開されなくちゃならない。そして、不都合なことが起きたら、なおさら、きちんと明らかにして、人がそれぞれ、対策をとれるようにしなくちゃならない。

チート的なやりかたで企業を守ったりしなくても、経済を発展させることはできたんじゃないだろうか。まあそれは議論の余地があるにしても、その果ての今になって、なぜ僕らは貧しくなることに恐れをいだき続けているんだろう。今、ぼくらの社会はそれなりに豊かで、食べるに困る事もないのに、ちょっと調子が悪くなると、毎日電車に向けて飛び込む人がいるのはなぜなんだろう。同じ疑問を何度もくりかえし考えている。

一言で言うと、僕らは、豊かになりはしたが、幸福にはならなかったんじゃないか。それはなぜなんだろうか、ってことだ。幸福度に関しては、いろいろな指標があって、かつて、世界で最も豊かで安全な国と言われていたこの国の幸福度は、以前にくらべれば落ちたとはいえ、客観指標でいけば、まだそこそこいいとこにいくんだけど、なぜだか、幸福っていうか満足を感じている人はその割にすくないっていうのはたしかなようだ、たとえば、この記事。ちょうど震災の前々日の記事だね。

「公害」という言葉

思うに、その問題を解くヒントの一つがこの「公害」って言葉だ。Wikipediaで「公害」のエントリーからEnglishにとぶと "pollution"って、そりゃぜんぜん違うだろって言葉になる。"pollution"って言葉を日本語に訳すと「汚染」ってなるね。「汚染」っていうと、たぶん汚した人がいるなり、汚した組織なり企業なりがあって、誰かなり、何かなりに責任をはたしてもら おう、っていう感じになのに、「公害」っていうと、なんかおおやけのことなんだから、みんなでがまんしましょうって感じになってしまう。

この、「みんなでがまんしましょう」ってのが、息苦しさの原因じゃないかと思うわけだ。そうすると、なぜ「汚染」が「公害」になるんだろうってことにもなるわけだけど、というより、これは「公」+「害」なんて言葉が成立しちゃう(この熟語自体は中国の文献にあるようだけど、汚染って意味で使われているわけではない)ところが問題だ。そして「公」って言葉の意味がね。おおむね英語に訳すと「公」とか「公共」ってのは"public"って言葉になるのだけれど、これも言葉の間をいききするときにゆがみが生じる。これについては長くなるので、またいずれ。


* アイリーン・スミスっていうのは、ユージン・スミスの何番目かの奥さんで、ユージン・スミスがこの写真をとったころは、作品を作る上での助手みたいなことをしてた人。ユージン・スミスは、1972年に、この水俣の水銀汚染を引き起こしたチッソっていう企業の千葉の工場を訪れて、暴行を受けて(この時のチッソの会長は、皇太子妃雅子様のお祖父さんだね)、片目を失明して、その6年後に亡くなってるけど、アイリーン・スミスはまだ、ユージン・スミスが生きていた間に離婚している。いろいろややこしい。

2011年8月1日月曜日

お茶漬けの味

小松左京氏が亡くなった。

原発事故関連のことばかり書いていたけど、ちょっと一休み。今書いておかないと思い出す機会がないかもしれないから。

僕がSFを読み始めた頃、ってたぶん中学生くらいの時、1970年代の半ば頃だけど、日本のSF作家っていうと、小松左京、星新一、筒井康隆あたりが山脈にたとえれば主峰で、そのまわりに、光瀬龍とか眉村卓、とか平井和正とかがいた。SF作家だけでも高名な人は他にもたくさんいるけど、僕はその後どっちかっていうと海外SFばかり読んでたから、読まなかった人は省く。別格にSF的なものも含めて前衛小説を書く安倍公房っていう人がちょっと早くから活動を始めていて、小松左京も影響を受けたみたいなことを書いていた。SFの人じゃないけど、高橋和巳なんて人とも親交があったってことを、今回の訃報に接して始めて知ったんだけど、とにかく、この頃この国の文学界は今よりずっと活気があったような気がするのは気のせいかなあ。まあ文学界に限ったことじゃないけど。その頃、その主峰3人の中でも、星新一の書くものはまあ、とんちみたいなもので軽く(この人の作品だと、僕はショートショートよりも「人民は弱し官吏は強し」っていうのが一番好きだ、伝記だけど、官僚批判の元祖みたいなもんです)、筒井康隆のは疾走感っていうか狂ったような味わいがあったけど、小松左京の書くSFはアイデアが分厚くて読み応えがあった。

デビュー作の「日本アパッチ族」についてはいずれ書くかもしれない。どうも理に落ちているような「日本沈没」なんかよりずっといいし、Aちゃん、あなたたちもこの本はそのうち読むべきだ。くず鉄を食べて、純粋な鉄をひり出すアパッチ族っていうのはこの人の創作だけど、終戦後すぐの大阪には実際に「アパッチ」と呼ばれた人たちがいたらしい。そのことは、もっと事実に近い形で他の作家、開高健とか(最近だと梁石日とか)も書いているけど、実はその時代の雰囲気をまるごと伝えているのは小松左京なんじゃないかって、中学の時の先生が言っていたのを覚えてる。

それはともかく、この人の作品は(「日本アパッチ族」以外は)短編がいい。その中でも僕がいちばん好きなのは「お茶漬けの味」。SFには、人類ほとんど絶滅後の世界にちょっとだけ生き残った人たちを描くっていう伝統的なジャンルがあって、この生き残り方にもいろいろあるけど、亜光速宇宙船で宇宙探査にでかけている間に人類はほとんど絶滅してましたっていうのがこの作品(「猿の惑星」が同じパターンだね、最近のアニメだと「エウレカセブン」もちょっと似た状況か)。ほとんど、絶滅していた理由っていうのが、この当事としてはたいへんユニークだったんだけど、もっとユニークなのは、主人公の少年っていうのが、宇宙探査船でコックをしていて、地球にもどってから、お茶漬けを食べることを夢見て、たいそう苦労しながら、米を作り、米から糠を作り、茄子を育て、茶の木を植える。とことん食べものにこだわる話だってこと。

食べ物にこだわるなんてみっともない、それもお茶漬けなんて、って思うかい。思わないでいてくれるとうれしいんだけど。このお話は文化っていうことについて語ってる。文化っていうのはね、何を食べるか、何を着るか、どんな家に住むか、どんな風に暮らすかっていうことなんだよ。それもね、食べるってことにしても、高級なレストランで何を食べるかっていうことじゃなく、ぼくらが、ふだん自分の身の回りで何を作り、どんなふうに調理して、どんなふうに食べるかっていうことが大事だってことを教えてくれている。

3月11日の後、ぼくらは便利で快適なくらしを求めて、原発みたいな「巨大技術」を追い求めるべきなんだろうか。それとも一人一人がそれぞれに必要なものを作り、そういう暮らしを少し便利にする「中間技術/適正技術」を求めるべきなんだろうか、ってずっと考えている。小松左京って人は、巨大技術の極北みたいな宇宙開発について、それを促進する活動をずっとやっていたけど、一方で若い頃にこんな作品も書いてたんだね。亡くなる前に、この原発事故の後、この人が巨大技術に関してどういうことを言うか聞いてみたかった、って結局原発事故の話になってしまった。

2011年7月3日日曜日

単位の小事典

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もう一冊の科学啓蒙書

やはり、高木仁三郎先生が書かれた、もう一冊の科学啓蒙書。「元素の小事典」はすごくいい本だけど、こちらは普通にいい本。とはいっても、単位っていうのは、おろそかにしていると、わけわかんなくなっちゃうし、単位全般について、読み物になっている良い解説書っていうのは他にあんまりないから、勉強をする上ではこっちの方が大事かもしれない。もっとも、この本についてちょっとだけ書いておこうと思ったのは、勉強についてのことではなくて原発事故関連だ。

原発はある意味原爆よりおそろしい

今回、原発事故が起きた時、ヒロシマにやナガサキにくらべればたいしたことないよ、みたいなことも言われていたよね。それが間違いだということが、この本の中、エネルギーを測る単位を記述した項目に明瞭に書かれている。

最近は「出力100万キロワットの原発」というような表現がよく新聞に出てきます、これは毎秒1000,000,000(10億)ジュールの電気をつくっている原発のことです。なにか、ものすごく大きい感じがしますね。ところが、これでおどろいてはいられません。実は、この原発では、毎秒30億Jほどの核反応による発熱があり、その3分の1ほどが電気になっているのです。残りの3分の2、つまり毎秒20億ジュールは温排水として、海に捨てられているのです。この大きさの方におどろきませんか。
ついでに述べておくと、広島に投下された原爆は、爆発威力が15キロトンだったとされます。これは、TNT火薬にして、15キロトン、すなわち15000トン分の爆発ということですが、これはおよそ70兆ジュールの発熱にあたります。これは核分裂反応による発熱で、それがあの広島の大破壊をもたらしたのですが、このエネルギー量は100万キロワットの原発が約7時間で発生する量に相当します。ということは100万キロワットの原発は、広島原爆を1日に3回あまり爆発させる(制御した形ですが)だけの核分裂をし、それに相当する燃えかす=死の灰を出していることを意味します。仮に1年300日原発が稼働するとすれば、広島原爆千発分の死の灰が発生することになり、これが後々まで残る放射性廃棄物(核のゴミ)問題として、いま人類が頭を悩ます問題の一つになっているのです。pp76-78

今回の事故でも、水素爆発は起きたけど、核爆発が起きたわけではないから(3号機では少なくとも核反応はおきてたみたいだけど、爆発だったのかどうかは分からない)そりゃあ、影響のしかたは全然違うけど、まき散らされた放射性物質の量という意味でいえば、ヒロシマ、ナガサキよりはるかに大きいし、これからももっと大きくなる可能性があるんだ。というのは、福島第一原子力発電所の原発の出力は、1号機が46万kW、2から5号機78.4万kW、6号機が110万kWだ。ということは、運転していた、1号機から3号機までがあわせて約200万kWで、毎日、広島原爆6発分の放射性廃棄物を作ってたってことになる。これもいつか書ければ書くけど、放射性廃棄物の処理っていうのはぜんぜんめどがたってなくって、とりあえず、使い終わった核燃料っていうのは、原発の横にある貯蔵プールにため、そこがあふれれば、中間貯蔵施設に送るってことをやってる。フランスやイギリスの処理施設に送って、プルトニウムを取り出すなんてこともやってるけど一部だけだし。処理したからってあぶなくなるわけじゃない。今回、事故が起きた時に運転していた1号機から3号機の炉心には、広島原爆にして6X(運転日数)発分の放射性廃棄物がたまっていたわけだしそれぞれの原発の横の燃料プールにはたぶんそれ以上たまっていたはずだ。正確な量はわかんなくても、ものすごい量だし、一部漏れ出しただけでもたいへんなことだってことが分かるよね。そもそも運転していなかった4号機では燃料プールが原因で爆発が起きたわけだし、運転していなくても十分おそろしかったわけだね。

 

ベクレルとシーベルト

僕がこないだからはまっている、制服向上委員会の「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」にも、

それはそれは 習わない言葉が溢れ
ベクレル セシウム メルトダウンにタービン建屋
モニタリングに 高い マイクロシーベルトもう

なんてのがあるけど、この中の、ベクレルとマイクロシーベルト(=10-6シーベルト)ってのが単位で、この2つの言葉については、この本をちゃんと読んでおいた方がいい、その理由もこの本に書いてあるので、最後に引用、

時代とともに新しい概念や単位に適応しなくてはならなくなったことに、原子力に関する単位があります。これは本章の冒頭で述べた地震に関する単位と同じで、あんまりうれしいことではありませんが、うまいつき合いをしておかないと、命に関係してきます。pp.89

そう、命にかかわるんだよ。